市民体育館での火曜日の稽古休止について(お知らせ)

令和3年1月10日

 佐倉合気会の皆様
 
 一昨1月7日(木)の緊急事態宣言の発令により、佐倉市は、市内公共施設の利用を午後8時までとする措置を行っています。
 その期間は、緊急事態宣言の期限である2月7日(日)までとなっております。
 市民体育館柔道場を利用している佐倉合気会の日曜日、火曜日、土曜日の定例稽古のうち、午後7時から9時までの火曜日の稽古が閉館時刻繰り上げによる影響を受けることとなりました。
 急きょ、理事会メンバーで対応を協議した結果、この措置が夜間の外出を極力減らすことにより、新型コロナ・ウイルスの感染拡大を抑え込むためであることを踏まえ、午後8時閉館の措置がとられている間は、火曜日の稽古を休止することとしました。
 会員の皆様におかれては、ご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。

【佐倉合気会会報】2021年1月(抄)

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【佐倉合気会会報】2021年1月
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(会長年頭挨拶)
 明けましておめでとうございます。
 新しい年を迎えるに当たって、2020年という今迄にない一年を振り返ってみました。
 3月から公共施設の利用制限のため稽古がストップ。
 稽古どころか仕事はオンライン、どこに行くにもマスク、学校も休校。
 その中で6月からマスク着用で接触を伴わない稽古が始まり、10月からは畳をアルコールで雑巾がけをして、徒手の稽古も始まりました。
 以前と比べたら不便も多いし稽古時間も短縮していますが、今は週に3回の稽古ができるようになりました。
 「接触を伴わない」として取り組んだ杖の稽古には、多くの会員が携わることができました。
 「今まで通り」が通用しなくなると不安になりますが、今までできなかったことができるようになったり、新たな面に気付くなど収穫もあったように思います。
 今年はより一層みなさんと知恵を出し合い、工夫して、健康に気をつけながら、合気道と向き合っていきましょう。
 今はまだ、ビジターの方の受け入れはできない状況ですが、よく顔を出してくれていた近隣の道場の方、東京から来てくれていた方、名古屋はどうしているだろうか、アメリカは大丈夫だろうかと、まだお会いできない沢山の方にも思いを馳せながら、コロナ終息を願い、年頭の挨拶といたします。
 本年もどうぞ宜しくお願い致します。
      三浦 史明

(稽古の案内)
 コロナ・ウイルスの終息が中々見えない状況ですが、日曜日(10:00~12:10)、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)と、稽古を行います。
 稽古では、まず準備運動と杖の稽古を行った後、体術の稽古を30分程度行います。
 感染拡大防止策として、体術の稽古に入る前に畳の雑巾がけ・手指の消毒を行うとともに、稽古終了まで稽古相手を変えないこととしています。
 また、感染リスクへの不安を考慮して、体術は、当面希望者のみで行います。

 なお、市民体育館の更衣室・シャワー室ですが、現在、2階更衣室については「利用人数(5名)、滞在時間(10分)、禁止事項(会話をしない)の制限付き」で利用できるようになりました。
 ただし、シャワー室と1階更衣室は、まだ使用禁止となっています。

 新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
 3月末までの体育館の予約が確定しました。
 稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。

 【1月】
 1月5日(火)稽古始め
 1月9日(土)
 1月10日(日)
 1月12日(火)
 1月16日(土)
 1月17日(日)鏡開き式
 1月19日(火)
 1月23日(土)
 1月24日(日)
 1月26日(火)
 1月30日(土)
 1月31日(日)

 【2月】
 2月2日(火)
 2月6日(土)
 2月7日(日)
 2月9日(火)
 2月13日(土)
 2月14日(日)
 2月16日(火)
 2月20日(土)
 2月21日(日)
 2月23日(火)
 2月27日(土)
 2月28日(日)

 【3月】
 3月2日(火)
 3月6日(土)
 3月7日(日)
 3月9日(火)
 3月13日(土)
 3月14日(日)
 3月16日(火)
 3月20日(土)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月21日(日)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月23日(火)
 3月27日(土)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月28日(日)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月30日(火)
 注:千葉県知事選挙が3月に予定されており、選挙事務のため、佐倉市が複数の日取りを押さえています。知事選の日取りが決まった時点で空きとなり利用できる日が出てくれば、予約を取ります。

○鏡開き式
 佐倉合気会の鏡開き式は、1月17日(日)に行います。
 10:00~11:30は通常稽古(杖・体術)を行い、11:30~12:00を鏡開き式とします。今回は、3階会議室での直会・新年会は行わず、道場での鏡開き式終了後にお茶菓子等を配付し、短時間ですが新年の抱負などを語るひとときを持つ予定です。

*** 山根政行著「へちまの葉」(p108 ~109)から ***
   「言葉 二」
 「人間は言葉、言葉は人間です」といった人がいます。
 石川九楊さんという書家であります。(「語る」石川九楊の世界、朝日新聞)。
 石川さんに限らずそのように思考し、本質を見定めようと創意工夫する人は多いと思います。
 先日の鹿島での合宿の折に渋川義彦さんから興味深い話を伺いました。
 それは最近「何げない生活」ということについて考えている、ということでありました。
 何げないと思えることの底に潜む世界に光を当てゝみたいということだと思われますがいつか又その時の話の続きを聞かせて頂きたいものであります。
 渋川さんも又日々思考し、物事の本質を見定めようと創意工夫する一人でありました。
 「故郷は出るもの、親は捨てるもの」と石川さんはいう。
 捨てる、ということばをそのまゝ受け容れるにはさすがに抵抗はありますが、厳しさと、優しさ、ということにしましても相矛盾する関係のハザマには限りない糸筋があるようにも思えます。
 愛語よく廻天の力あるを学べ、といわれた道元も愛語は愛心より起り、愛心は慈心を種子とせりと教えています。
 この種子を己れの心にまき、育て、花園を持つところに明るい言葉の源が産まれるのでありましょうか。
 言葉は命(ミコト、マコト)を源とするが故に行ないとなって外に顕われるものであります。
 即ちコトバはヒトでありヒトはコトバであるということに通じるわけであります。
 このことは行ないの本質を見定めるということについて大切なことであります。
 合気道におきましても内なる誠が外に現われるが故に、内なる誠を練って練って練り直して精進せよとの教えがあります。
 「言霊とは腹中にタギル血の姿をいう」とは、何げない生活になげかける一筋の光であると信じます。

 ※メールアドレスを変更されたときは、その旨このメールにご返信下さい。また、メールによる会報送付が不要なときも、その旨お知らせ下さい。

言葉 二

 「人間は言葉、言葉は人間です」といった人がいます。
 石川九楊さんという書家であります。(「語る」石川九楊の世界、朝日新聞)。
 石川さんに限らずそのように思考し、本質を見定めようと創意工夫する人は多いと思います。
 先日の鹿島での合宿の折に渋川義彦さんから興味深い話を伺いました。
 それは最近「何げない生活」ということについて考えている、ということでありました。
 何げないと思えることの底に潜む世界に光を当てゝみたいということだと思われますがいつか又その時の話の続きを聞かせて頂きたいものであります。
 渋川さんも又日々思考し、物事の本質を見定めようと創意工夫する一人でありました。
 「故郷は出るもの、親は捨てるもの」と石川さんはいう。
 捨てる、ということばをそのまゝ受け容れるにはさすがに抵抗はありますが、厳しさと、優しさ、ということにしましても相矛盾する関係のハザマには限りない糸筋があるようにも思えます。
 愛語よく廻天の力あるを学べ、といわれた道元も愛語は愛心より起り、愛心は慈心を種子とせりと教えています。
 この種子を己れの心にまき、育て、花園を持つところに明るい言葉の源が産まれるのでありましょうか。
 言葉は命(ミコト、マコト)を源とするが故に行ないとなって外に顕われるものであります。
 即ちコトバはヒトでありヒトはコトバであるということに通じるわけであります。
 このことは行ないの本質を見定めるということについて大切なことであります。
 合気道におきましても内なる誠が外に現われるが故に、内なる誠を練って練って練り直して精進せよとの教えがあります。
 「言霊とは腹中にタギル血の姿をいう」とは、何げない生活になげかける一筋の光であると信じます。

藤沢秀行

 「藤沢でございます」袴姿に威儀を正した名誉棋聖藤沢秀行は「勝負と経営」と題されたテーマにやゝとまどいながらも訥々として飾らず、しかし本物のもつ深いその等身大の世界をあるがまゝに垣間見せてくれた。
 「私も皆さんも同じなんですヨ」と人に説く、道の深さに対する謙虚さ。
 「経済、経営にしても、何事によらず、よく解かるということ自体がおかしくはありませんか」と聴衆に問いかける。
 碁で大切なことは「いかなる変化にも対応できる力を養うこと」いかなる変化にも対応できること即ち「それが力」と語る。
 小学生の習字を「何故学校の先生はアレを直すのでしょうかネ」「とてもいい字だと思いますがネ」ドキッとする深さが伝わる。
 まるで生死の境がないようなあの迫力は一体どこから生まれるのでしょうか。
 時折コップの水を、極上の酒を楽しむように少しずつ口に運びながら語る人間、藤沢秀行。
 人が人をひきつけるその引力に圧倒される。
 講演の後の質問に「良い碁とは一体どのような碁なのでしょうか」とありました。
 これは講演の中で四国の御婦人で初級の方の碁を誉めた話についての質問でありました。
 良い碁とは「石が素直に自然にいく」ということです。と言われた。
 「現場が大切」という藤沢さんに「先生は部分と全体ということについてどのようにお考えでしょうか」とたずねさせて頂いた。
 ウンと肯かれた先生はたちどころに「大局観も細部も同じです。一目でわかることが必要、それが力というもの」と答えてくれました。
 碁を学ぶということは色々なことをいろいろな事から学ぶことなのだ、という藤沢秀行の世界が合気道の世界に重なった。

【佐倉合気会会報】2020年12月(抄)

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【佐倉合気会会報】2020年12月
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 全国的にコロナの感染拡大が懸念されています。
 引き続き、感染拡大防止に配慮しつつ、稽古を慎重に、かつ楽しく続けてまいりましょう。

 日曜日(10:00~12:10)、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)と、稽古を再開しています。
 稽古では、まず準備運動と杖の稽古を行った後、体術の稽古を30分程度行います。
 感染拡大防止策として、体術の稽古に入る前に畳の雑巾がけ・手指の消毒を行うとともに、稽古終了まで稽古相手を変えないこととしています。
 また、感染リスクへの不安を考慮して、体術は、当面希望者のみで行います。

 なお、市民体育館の更衣室・シャワー室ですが、現在、2階更衣室については「利用人数(5名)、滞在時間(10分)、禁止事項(会話をしない)の制限付き」で利用が再開されています。
 シャワー室と1階更衣室は、引き続き使用禁止です。

 新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
 2月末までの体育館の予約が確定しました。
 稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。

 【12月】
 12月1日(火)
 12月5日(土)
 12月6日(日)
 12月8日(火)
 12月12日(土)
 12月13日(日)
 12月15日(火)
 12月19日(土)
 12月20日(日)
 12月22日(火)
 12月26日(土)
 12月27日(日)稽古納め
 注:12月29日(火)、1月2日(土)、同3日(日)は年末年始の休館日です。

 【1月】
 1月5日(火)稽古始め
 1月9日(土)
 1月10日(日)
 1月12日(火)
 1月16日(土)
 1月17日(日)鏡開き
 1月19日(火)
 1月23日(土)
 1月24日(日)
 1月26日(火)
 1月30日(土)
 1月31日(日)

 【2月】
 2月2日(火)
 2月6日(土)
 2月7日(日)
 2月9日(火)
 2月13日(土)
 2月14日(日)
 2月16日(火)
 2月20日(土)
 2月21日(日)
 2月23日(火)
 2月27日(土)
 2月28日(日)

○鏡開き
 恒例の鏡開きは、1月17日(日)に執り行います。
 詳細は、追って連絡いたします。

*** 山根政行著「へちまの葉」(p106 ~107)から ***
   「藤沢秀行」
 「藤沢でございます」袴姿に威儀を正した名誉棋聖藤沢秀行は「勝負と経営」と題されたテーマにやゝとまどいながらも訥々として飾らず、しかし本物のもつ深いその等身大の世界をあるがまゝに垣間見せてくれた。
 「私も皆さんも同じなんですヨ」と人に説く、道の深さに対する謙虚さ。
 「経済、経営にしても、何事によらず、よく解かるということ自体がおかしくはありませんか」と聴衆に問いかける。
 碁で大切なことは「いかなる変化にも対応できる力を養うこと」いかなる変化にも対応できること即ち「それが力」と語る。
 小学生の習字を「何故学校の先生はアレを直すのでしょうかネ」「とてもいい字だと思いますがネ」ドキッとする深さが伝わる。
 まるで生死の境がないようなあの迫力は一体どこから生まれるのでしょうか。
 時折コップの水を、極上の酒を楽しむように少しずつ口に運びながら語る人間、藤沢秀行。
 人が人をひきつけるその引力に圧倒される。
 講演の後の質問に「良い碁とは一体どのような碁なのでしょうか」とありました。
 これは講演の中で四国の御婦人で初級の方の碁を誉めた話についての質問でありました。
 良い碁とは「石が素直に自然にいく」ということです。と言われた。
 「現場が大切」という藤沢さんに「先生は部分と全体ということについてどのようにお考えでしょうか」とたずねさせて頂いた。
 ウンと肯かれた先生はたちどころに「大局観も細部も同じです。一目でわかることが必要、それが力というもの」と答えてくれました。
 碁を学ぶということは色々なことをいろいろな事から学ぶことなのだ、という藤沢秀行の世界が合気道の世界に重なった。

 

ヤジロベエ

 筑波大学の河辺さんという方が、以前新聞で「安定」ということについて、おわんの底にあるピンポン玉のように少し位刺激を与えても元へ戻る状況をいう、という意味のことをプラズマの話の中で触れていたことがありました。
 元へは戻らない状況を不安定と呼ぶ、ともいっておりました。
 ヨットの復元力や、ヤジロベエのバランスを想像するとわかり易いと思います。
 子供の頃慣れ親しんだヤジロベエにいたしましても、指の腹の上に乗った支点を中心にほんのわずかな刺激に対してユラユラと揺れて元に戻ろうとするあの感触があってこそヤジロベエがヤジロベエであるのだと思います。
 右と左の重さ、下向きに延びた腕の長さのこと、そしてそれにも増して大切なことは指の腹と支点の接触面の自由さ、がもたらせる安定の世界であると思います。
 固定しないことの大切さ、といえば重さを計るハカリについても同じことがいえるのではないでしょうか。
 フランスのグラム原器に少しづゝ誤差が生じているそうであります。
 仮りにその誤差を百万分の一グラムとしますと、その誤差はどのようにして計るのでしょうか。
 このような世界はともかくとして、ハカリの支点が錆びて固定していては一キログラムも十キログラムも同じ、といった極端なことにもなりかねません。
 合気道における日常の稽古にありましても自分と相手、右と左、前と後、上と下といった対象となる関係に対して揺れ動きながらも自律的に安定を求めるヤジロベエのように自由でありたいものであります。
 その為にも支点の錆びを落とす必要があります。
 お互い錆びを落として光ある明るい世界に身を置きたいものであります。

【佐倉合気会会報】2020年11月(抄)

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【佐倉合気会会報】2020年11月
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 10月17日(土)から体術の稽古を一部再開いたしました。
 約7か月ぶりの体術の感触は、とても懐かしいものでした。
 マスクを着用しながらですので、思いのほか息が上がります。
 コロナへの慎重な対応を続けながら、少しずつ日常を取り戻してまいりましょう。

 佐倉市民体育館の利用時間制限が10月5日(月)から緩和されため、日曜日(10:00~12:10)、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)と、稽古を再開しています。
 稽古では、まず準備運動と杖の稽古を行った後、体術の稽古を30分程度行います。
 感染拡大防止策として、体術の稽古に入る前に畳の雑巾がけ・手指の消毒を行うとともに、稽古終了まで稽古相手を変えないこととしています。
 また、感染リスクへの不安を考慮して、体術は、当面希望者のみで行います。

 なお、市民体育館の更衣室・シャワー室の利用ですが、10月7日改定の「佐倉市スポーツ施設における感染拡大予防ガイドライン」では、2階更衣室について、「利用人数(5名)、滞在時間(10分)、禁止事項(会話をしない)の制限付き」で利用再開となりました(10月31日現在では閉まっていますが、市民体育館は佐倉市に確認するとのことです。シャワー室と1階更衣室は使用禁止が継続しています)。

 新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
 1月末までの体育館の予約が確定しました。
 稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。

 【11月】
 11月1日(日)
 11月3日(火)
 11月7日(土)
 11月8日(日)
 11月10日(火)お休み(佐倉市職員健康診断のため)
 11月14日(土)
 11月15日(日)
 11月17日(火)
 11月21日(土)
 11月22日(日)
 11月24日(火)お休み(休館日のため)
 11月28日(土)
 11月29日(日)

 【12月】
 12月1日(火)
 12月5日(土)
 12月6日(日)
 12月8日(火)
 12月12日(土)
 12月13日(日)
 12月15日(火)
 12月19日(土)
 12月20日(日)
 12月22日(火)
 12月26日(土)
 12月27日(日)稽古納め
 注:12月29日(火)、1月2日(土)、同3日(日)は年末年始の休館日です。

 【1月】
 1月5日(火)稽古始め
 1月9日(土)
 1月10日(日)
 1月12日(火)
 1月16日(土)
 1月17日(日)鏡開き
 1月19日(火)
 1月23日(土)
 1月24日(日)
 1月26日(火)
 1月30日(土)
 1月31日(日)

○鏡開き
 恒例の鏡開きは、1月17日(日)に執り行います。
 詳細は、追って連絡いたします。

*** 山根政行著「へちまの葉」(p104~105)から ***
   「ヤジロベエ」
 筑波大学の河辺さんという方が、以前新聞で「安定」ということについて、おわんの底にあるピンポン玉のように少し位刺激を与えても元へ戻る状況をいう、という意味のことをプラズマの話の中で触れていたことがありました。
 元へは戻らない状況を不安定と呼ぶ、ともいっておりました。
 ヨットの復元力や、ヤジロベエのバランスを想像するとわかり易いと思います。
 子供の頃慣れ親しんだヤジロベエにいたしましても、指の腹の上に乗った支点を中心にほんのわずかな刺激に対してユラユラと揺れて元に戻ろうとするあの感触があってこそヤジロベエがヤジロベエであるのだと思います。
 右と左の重さ、下向きに延びた腕の長さのこと、そしてそれにも増して大切なことは指の腹と支点の接触面の自由さ、がもたらせる安定の世界であると思います。
 固定しないことの大切さ、といえば重さを計るハカリについても同じことがいえるのではないでしょうか。
 フランスのグラム原器に少しづゝ誤差が生じているそうであります。
 仮りにその誤差を百万分の一グラムとしますと、その誤差はどのようにして計るのでしょうか。
 このような世界はともかくとして、ハカリの支点が錆びて固定していては一キログラムも十キログラムも同じ、といった極端なことにもなりかねません。
 合気道における日常の稽古にありましても自分と相手、右と左、前と後、上と下といった対象となる関係に対して揺れ動きながらも自律的に安定を求めるヤジロベエのように自由でありたいものであります。
 その為にも支点の錆びを落とす必要があります。
 お互い錆びを落として光ある明るい世界に身を置きたいものであります。

父と子と

 近頃いい話を聞きました。
 なまいき盛りの中学二年生の息子さんを持つ父親の話であります。
 とても心に残りましたので皆さんにも紹介させていただきます。
 反抗的な中二の息子は親と口を聞こうともしない。
 心配する母親には「放って置け」を繰り返していた。
 ある日「おやじ、小遣銭上げてくれ」ときた。
 「進学の勉強をせい」と一蹴した。
 翌朝、五時半から彼の新聞配達が始まった。
 豪雪の冬を休まずに続けた三年生の春、「修学旅行欠席届をもらったが…」と、担任が妻に尋ねた。
 思い当るものがあった。
 早暁、「ジョギング代わりにお前についていく」というと意外に拒否もせずニヤリとした。
 ニキロ先の新聞販売所から四十数軒配り終えるまでつき合って一週間、「おい修学旅行にいってこい。新聞は引き受けた」というと、冷たい霧の中で涙を隠す息子の、まだ幼さの残る丸い肩に満足の安堵を見た。(日本新聞協会ハガキエッセーコンテスト優秀作「十数年前の絆」)
 この短かい話の中に含まれる父と子の思いのさりげなさとそして深さに打たれました。
 以前、通勤の途上、京成佐倉駅上りホームで電車を待つ間、下りホームから老いた魚屋さんが魚をたくさん入れたブリキ製の大きな箱を担いで階段を昇る姿を時折みかけました。
 箱についた帯が肩にくい込むその姿から、遠い昔、持ち切れない程の新聞をかついた幼い頃の自分の姿が重りました。
 反抗するということ、受け容れるということ、父親の男らしさ、母親の女らしさということ、等を考えさせられました。
 合気道を学ぶということはこうした父と子と、といった縦の糸一本にしても単に「種」として意味を持つのでなく「いのちが生きる」のだ、ということを学ぶことにつながるように思えます。

【佐倉合気会会報】2020年10月(抄)

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【佐倉合気会会報】2020年10月
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 佐倉市民体育館の利用時間制限が10月5日(月)から緩和されることになりました(9月25日付け佐倉市ホームページ)。
 午後5時までとされていましたが、午後9時までの夜間利用が再開されます。
 なお、柔道場の利用可能人数も15人から30人へと引き上げられます。
 これに伴い、火曜日の稽古を10月6日(火)から再開いたします。
 なお、更衣室・シャワー室は、現時点でまだ利用できず、「順次再開予定」とされています。
 また、昨3日(土)、理事会が開かれ、今後の稽古内容について協議を行いました。
 その結果、次のとおり体術の稽古を一部再開するなどの見直しを行うこととしました。

(1) 10月17日(土)から、杖の稽古の後、体術の稽古を30分程行うこととしました。
 なお、体術での感染リスクに不安を持つ人を考慮し、杖の稽古でいったん区切り、そこで稽古を終えても差し支えない旨を周知徹底します。
(2) 体術の稽古開始に当たっては、コロナ感染防止対策を一層徹底します。体術の稽古に入る前に、全員で畳の消毒の雑巾掛けを行うとともに、体術の稽古では、こまめに手指の消毒をします。
(3) 稽古時間は、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)は現状どおりですが、日曜日については10:00~11:30が杖の稽古、畳拭きを挟んで、11:40~12:10が体術の稽古とします。

 新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
 12月末までの体育館の予約が確定しました。
 稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。他団体の先行予約が取り消されたため、10月10日(土)、11月7日(土)、同8日(日)、同21日(土)、同22日(土)は、稽古が可能となりました。

 【10月】
 10月3日(土)
 10月4日(日)お休み
 10月6日(火) (この日以降、火曜日夜の稽古が再開となります)
 10月10日(土) (注:佐倉市秋祭りは取りやめとなりました)
 10月11日(日)
 10月13日(火)
 10月17日(土)
 10月18日(日)
 10月20日(火)
 10月24日(土)
 10月25日(日)
 10月27日(火)
 10月31日(土)

 【11月】
 11月1日(日)
 11月3日(火)
 11月7日(土) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
 11月8日(日) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
 11月10日(火)お休み(佐倉市職員健康診断のため)
 11月14日(土)
 11月15日(日)
 11月17日(火)
 11月21日(土) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
 11月22日(日) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
 11月24日(火)お休み(休館日のため)
 11月28日(土)
 11月29日(日)

 【12月】
 12月1日(火)
 12月5日(土)
 12月6日(日)
 12月8日(火)
 12月12日(土)
 12月13日(日)
 12月15日(火)
 12月19日(土)
 12月20日(日)
 12月22日(火)
 12月26日(土)
 12月27日(日)稽古納め
 注:12月29日(火)、1月2日(土)、同3日(日)は年末年始の休館日です。
   新年の稽古始めは1月5日(火)となります。

○納会と新年鏡開き
 本年の納会は、新型コロナウイルスの感染状況を考慮し、開催見送りとしました。
 恒例の新年鏡開きは、1月17日(日)に予定しています。

*** 山根政行著「へちまの葉」(p102~103)から ***
   「父と子と」
 近頃いい話を聞きました。
 なまいき盛りの中学二年生の息子さんを持つ父親の話であります。
 とても心に残りましたので皆さんにも紹介させていただきます。
 反抗的な中二の息子は親と口を聞こうともしない。
 心配する母親には「放って置け」を繰り返していた。
 ある日「おやじ、小遣銭上げてくれ」ときた。
 「進学の勉強をせい」と一蹴した。
 翌朝、五時半から彼の新聞配達が始まった。
 豪雪の冬を休まずに続けた三年生の春、「修学旅行欠席届をもらったが…」と、担任が妻に尋ねた。
 思い当るものがあった。
 早暁、「ジョギング代わりにお前についていく」というと意外に拒否もせずニヤリとした。
 ニキロ先の新聞販売所から四十数軒配り終えるまでつき合って一週間、「おい修学旅行にいってこい。新聞は引き受けた」というと、冷たい霧の中で涙を隠す息子の、まだ幼さの残る丸い肩に満足の安堵を見た。(日本新聞協会ハガキエッセーコンテスト優秀作「十数年前の絆」)
 この短かい話の中に含まれる父と子の思いのさりげなさとそして深さに打たれました。
 以前、通勤の途上、京成佐倉駅上りホームで電車を待つ間、下りホームから老いた魚屋さんが魚をたくさん入れたブリキ製の大きな箱を担いで階段を昇る姿を時折みかけました。
 箱についた帯が肩にくい込むその姿から、遠い昔、持ち切れない程の新聞をかついた幼い頃の自分の姿が重りました。
 反抗するということ、受け容れるということ、父親の男らしさ、母親の女らしさということ、等を考えさせられました。
 合気道を学ぶということはこうした父と子と、といった縦の糸一本にしても単に「種」として意味を持つのでなく「いのちが生きる」のだ、ということを学ぶことにつながるように思えます。

声と音

 分け入っても 分け入っても 青い山
と詩った漂泊の俳人、種田山頭火。
 捨てても捨てても捨てきれぬ自分、払っても払っても払いきれぬ自分、徹底しても徹底しても徹底しきれぬ自分の心を正直にうたい続けた旅の俳人でもありました。
 生き方がそのまゝ作風となっている感があります。
 「生きているよろこびを知るならば生かされているありがたさを忘れてはならない。
 ありがたさがもったいなさとなるとき、そのときがいのちにぴったり触れた時だ。」というような意味のこともいっております。(山頭火「句と言葉」春陽堂)
 真に渇いた者であれば一滴の水もいのちの水となり、真に寂寥を知るものであれば木の葉の落ちる音がこころの奥深いところに響き届くことでありましょう。
 山頭火は五十三才位の頃でありましょうか、「音響を声と観られるようになった。」といっております。
 つまり、「音が心にとけるとき、心が音をとかすとき、それは音でなくして声となる。」
 さらに、「その新らしい声を聴き洩らすな。」といっております。
 よくいわれることでありますが、使命はいのちを使うこと、運命はいのちをはこぶこと、どちらも漠然としており、まるで偶然のようなことのように思えますがさにあらず、実に生々しい現実であろうと思います。
 いのちに関していえば、こころとからだが離れ得ぬのと同じであるからであります。
 音と心と、心と声と。
 物から生じる音が心の世界にふれて声となる。
 はたしてその結び目はいったいどこにあるのでしょうか。
 こころとからだの結び目はいったい何処にあるのでしょうか。
 合気道の稽古の眼目も実はこの点を明らかにする作業のように思えてなりません。
 いのちを使い、いのちを運び乍ら。