くづれゆく たけいけがきの かたわらに
さくらぎの木の ふとりゆくあり
ある日ふと足元にめをやれば、朽ち落ち掛る生垣の竹。
そのかたわらには両の掌に余る程にふとった桜の苗木。
十有余年の歳月の移り行くさまのあまりの確かさに思わず感じさせられた場面でありました。
うちにまことあればそとにあらわるといわれますが、くずれゆくことも、育ちゆくことも又真理というべきでありましょうか。
かたちという物事の表面が時と共に変化してゆくありようには浅く深く人の心にしみ入るものがあります。
そのことはとりもなおさず、うちなるものが外に表われて形がつくられ、うちなるものが変化することによってうつるということが生じるからであります。
武産の庭に立ちたや神々と
神楽舞いたやこの庭で
昨年の暮の納会で披露させていただいた詩であります。
道にすすむ者であれば誰れ彼れといわず心の底の深いところで希うところのものがあると思います。
汲めども尽きぬよろこびの泉の湧きいでることの理想と日々の稽古の現実はこれ程確かなものはない程に互にくい込み合っているものであると申しあげます。
志を同じくする者が互のうちなるまことを練りに練りあうことによって光輝く世界が実現される庭、このような庭に是非立ちたいものであります。
「合気道とは言霊の妙用である」という道の教えも又、うちなるまことがそとにあらわれるという「武産合気」の原理を示す大切な教えでもあります。