筑波大学の河辺さんという方が、以前新聞で「安定」ということについて、おわんの底にあるピンポン玉のように少し位刺激を与えても元へ戻る状況をいう、という意味のことをプラズマの話の中で触れていたことがありました。
元へは戻らない状況を不安定と呼ぶ、ともいっておりました。
ヨットの復元力や、ヤジロベエのバランスを想像するとわかり易いと思います。
子供の頃慣れ親しんだヤジロベエにいたしましても、指の腹の上に乗った支点を中心にほんのわずかな刺激に対してユラユラと揺れて元に戻ろうとするあの感触があってこそヤジロベエがヤジロベエであるのだと思います。
右と左の重さ、下向きに延びた腕の長さのこと、そしてそれにも増して大切なことは指の腹と支点の接触面の自由さ、がもたらせる安定の世界であると思います。
固定しないことの大切さ、といえば重さを計るハカリについても同じことがいえるのではないでしょうか。
フランスのグラム原器に少しづゝ誤差が生じているそうであります。
仮りにその誤差を百万分の一グラムとしますと、その誤差はどのようにして計るのでしょうか。
このような世界はともかくとして、ハカリの支点が錆びて固定していては一キログラムも十キログラムも同じ、といった極端なことにもなりかねません。
合気道における日常の稽古にありましても自分と相手、右と左、前と後、上と下といった対象となる関係に対して揺れ動きながらも自律的に安定を求めるヤジロベエのように自由でありたいものであります。
その為にも支点の錆びを落とす必要があります。
お互い錆びを落として光ある明るい世界に身を置きたいものであります。