稽古の根幹

 合気道探求第三十六号の「道主巻頭言」の中で次のような内容の文がありましたので、紹介いたします。
  『私が普段の生活で心掛けていることは会話の中で否定語を使わないということです。
 先ず相手を否定する所から始めればその後の建設的な話し合いがあり得ないからです。
 例え意見が異なったとしてもいきなり否定してしまえば相手も良い気持はしません、先ずは相手の意見を受け止め、その後に自分の意見を述べていく、このことは合気道の和合の精神そのままだと思います。』(「否定語」より)
 合気道は武道でありますから、技術の鍛練は勿論大切であります。
 しかしながらその技術を生みだす心の鍛練は更に大切に思えます。
 日々の生活の中にあって自他が融合すべく各自が油断なく言動に留意し、鍛練し、磨き上げて成長してゆくことの大切さを道主が自ら示されている内容でありました。
 神ながらの教えの中にも、「弥栄とは油断しないこと。」とあります。
 たえず崩れ落ちようとするカラダに対して、たえず立ち上がろうとする生命力が働くように、又、たえず誤またんとする力に対して、たえず正そうとする力が働くように常に油断しない心掛けが即ち成長してゆく秘訣、という教えなのでありましょうか。
 ともあれ、素直な心をもって広い視野に立ち、手伸しくのびのびと自らに与えられた事情、情実を受け入れて我まま勝手なき我の実現をめざすことこそ修養の本質であり、稽古の根幹をなすものではないでしょうか。