声よ 光よ

  声よ光よ 澄み澄み亘れ
  細むとも 撓むとも
  底なき底の声ならば
  先なき先の先までも
  照らす光の声となれ  (春 風)
 世俗のかせから解き放たれた自分が新らたな創造の世界に入って行くことはこの上もなく楽しいことであります。
 新年を迎えて皆様は如何にあるべきか、どのようにありたいか、さまぎまなことを思い浮かべておられることと思います。
 小生も近年、時につけ折に触れ感じることがいくつかありますが、なかでも印象的なことは、人の動作の基本の内には意志と言葉が語り掛ける「声」の部分があることに気付いたことであります。
 部分というよりも全てといっても言過ぎではないかも知れません。
 ことばは「心とからだを結ぶ」といわれておりますが正にその通りのように思います。
 動作が人の意志の現われであるとすれば目にみることのできない幽の世界がことばとなり声となって顕われてきたものと考えられるからであります。
 「行くぞ」「どうぞ」、「来るな」「いやだ」、といった具合に意志が声となり、動作となって現われてくるからであります。
 顕幽、表裏、呼吸といった世界、相対する世界、この中にあって始めて人は座ることも、立つことも、歩くこともできることを知るべきであります。
 光を考え続げたアインシュタイン博士の「単純なものほど美しい」といったことばは合気道にも通じるものがあると思います。
 即ち、底なき底の声を、先なき先に現わす為にも余った部分を切り捨て、濁った部分を浄化して行くといった作業が日々の稽古を通じて行われているからであります。
 今年も良い年でありますように。