中心

 ヒトのカラダは手足や、目や耳のように一見して独立しているように見える異なる部分の存在や働きによって全体が構成され、絶えず機能するところに全体としての中心が存在する。
 このことは中心とはすべての部分を含み、すべての働きを認めるものであることを意味し、固執や歪みがある時には必ずいずれかに偏り、心身の病の元ともなる。
 物事の本質を見据える場合でも同様で、様々な角度からあらゆる反対、矛盾し合う部分と働きの違いというものを重ね、連ねてはじめて、有るがままの本来の姿がみえてくるものと信じる。
 この重ねあわせ連ねあわせることが即ち「心身は本来一如」をいよいよ自覚することでもあり、あらゆる存在と調和する大自然の心を実践することでもあろう。
 人の音声も又、光の働きである「時間」を経由させることによってその内なるまこと(真事、誠、命)が顕われてコトバとなる。
 中心とは「うちなるこころであって片寄ることのない全一」を言う。
 言葉とは「ヒトから発するいのちそのもの、タマシイそのもの」を言う。
 「愛語よく廻天の力あるを学べ」と言われた道元師の言葉は本当に大切なことであり、「言葉」や「呼吸」というものの「チカラ」がモノゴトの本質を「有るが故に有らしめる」ことを合気道は如実に教えてくれている。