グー、チョキ、パーはご存知ジャンケンポンでありますが、勝ち負けを表わすのには極めて便利な方法であります。
グーは石、チョキは鋏、パーは紙(又は布)をあらわし、各々が相対した時、鋏は紙に勝ち、切ることができない石に負け、石は鋏には勝てるが包まれて紙に負け、紙は石には勝てても、鋏には切られて負ける、というものですが、興味深いのは三者のうちいずれが一番強いか、ということでなく、それぞれの特色を無理なく、遺憾なく発揮し得た方を勝とすることを万人の共通として承知しているところにあります。
強さということも本来この様に比較の問題としてでなく「有るが故に、いよいよその特性をあらしめる」ことが何如に自然に行なわれてゆくか、というように考えるのが正しいかも知れません。
比較の対象である自他についても、その違いを明瞭に知ることは大切ですが、区別することのみに囚われ、終始するだけの心では楽しいとは云えないでしょう。
人は生命によって世に立ち、家は人の意志によって地上に建つ。
人も家も本来は崩れ去り、潰れ落ちようとする作用がありますが、進化発展しようとする大自然の心、人の心の強さによる日々の行ないの積み重ねが、崩れ去り、潰れ落ちようとする力に倍して、伸び育ち、建ち栄えて行くものと信じます。
強いということの意味にはいろいろあると思いますが、その一つに、「明るい」ということが挙げられると思います。
理に明るいが故に勝利するということですが、この世の中は実存の世界ですから理屈でなく、自ら行じて体現して行かなければ意味のないことは勿論のことです。
合気道に於ける強さということについて、これからも一緒に考えて参りましょう。