【佐倉合気会会報】2021年1月(抄)

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【佐倉合気会会報】2021年1月
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(会長年頭挨拶)
 明けましておめでとうございます。
 新しい年を迎えるに当たって、2020年という今迄にない一年を振り返ってみました。
 3月から公共施設の利用制限のため稽古がストップ。
 稽古どころか仕事はオンライン、どこに行くにもマスク、学校も休校。
 その中で6月からマスク着用で接触を伴わない稽古が始まり、10月からは畳をアルコールで雑巾がけをして、徒手の稽古も始まりました。
 以前と比べたら不便も多いし稽古時間も短縮していますが、今は週に3回の稽古ができるようになりました。
 「接触を伴わない」として取り組んだ杖の稽古には、多くの会員が携わることができました。
 「今まで通り」が通用しなくなると不安になりますが、今までできなかったことができるようになったり、新たな面に気付くなど収穫もあったように思います。
 今年はより一層みなさんと知恵を出し合い、工夫して、健康に気をつけながら、合気道と向き合っていきましょう。
 今はまだ、ビジターの方の受け入れはできない状況ですが、よく顔を出してくれていた近隣の道場の方、東京から来てくれていた方、名古屋はどうしているだろうか、アメリカは大丈夫だろうかと、まだお会いできない沢山の方にも思いを馳せながら、コロナ終息を願い、年頭の挨拶といたします。
 本年もどうぞ宜しくお願い致します。
      三浦 史明

(稽古の案内)
 コロナ・ウイルスの終息が中々見えない状況ですが、日曜日(10:00~12:10)、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)と、稽古を行います。
 稽古では、まず準備運動と杖の稽古を行った後、体術の稽古を30分程度行います。
 感染拡大防止策として、体術の稽古に入る前に畳の雑巾がけ・手指の消毒を行うとともに、稽古終了まで稽古相手を変えないこととしています。
 また、感染リスクへの不安を考慮して、体術は、当面希望者のみで行います。

 なお、市民体育館の更衣室・シャワー室ですが、現在、2階更衣室については「利用人数(5名)、滞在時間(10分)、禁止事項(会話をしない)の制限付き」で利用できるようになりました。
 ただし、シャワー室と1階更衣室は、まだ使用禁止となっています。

 新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
 3月末までの体育館の予約が確定しました。
 稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。

 【1月】
 1月5日(火)稽古始め
 1月9日(土)
 1月10日(日)
 1月12日(火)
 1月16日(土)
 1月17日(日)鏡開き式
 1月19日(火)
 1月23日(土)
 1月24日(日)
 1月26日(火)
 1月30日(土)
 1月31日(日)

 【2月】
 2月2日(火)
 2月6日(土)
 2月7日(日)
 2月9日(火)
 2月13日(土)
 2月14日(日)
 2月16日(火)
 2月20日(土)
 2月21日(日)
 2月23日(火)
 2月27日(土)
 2月28日(日)

 【3月】
 3月2日(火)
 3月6日(土)
 3月7日(日)
 3月9日(火)
 3月13日(土)
 3月14日(日)
 3月16日(火)
 3月20日(土)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月21日(日)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月23日(火)
 3月27日(土)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月28日(日)お休み(佐倉市主催事業のため)
 3月30日(火)
 注:千葉県知事選挙が3月に予定されており、選挙事務のため、佐倉市が複数の日取りを押さえています。知事選の日取りが決まった時点で空きとなり利用できる日が出てくれば、予約を取ります。

○鏡開き式
 佐倉合気会の鏡開き式は、1月17日(日)に行います。
 10:00~11:30は通常稽古(杖・体術)を行い、11:30~12:00を鏡開き式とします。今回は、3階会議室での直会・新年会は行わず、道場での鏡開き式終了後にお茶菓子等を配付し、短時間ですが新年の抱負などを語るひとときを持つ予定です。

*** 山根政行著「へちまの葉」(p108 ~109)から ***
   「言葉 二」
 「人間は言葉、言葉は人間です」といった人がいます。
 石川九楊さんという書家であります。(「語る」石川九楊の世界、朝日新聞)。
 石川さんに限らずそのように思考し、本質を見定めようと創意工夫する人は多いと思います。
 先日の鹿島での合宿の折に渋川義彦さんから興味深い話を伺いました。
 それは最近「何げない生活」ということについて考えている、ということでありました。
 何げないと思えることの底に潜む世界に光を当てゝみたいということだと思われますがいつか又その時の話の続きを聞かせて頂きたいものであります。
 渋川さんも又日々思考し、物事の本質を見定めようと創意工夫する一人でありました。
 「故郷は出るもの、親は捨てるもの」と石川さんはいう。
 捨てる、ということばをそのまゝ受け容れるにはさすがに抵抗はありますが、厳しさと、優しさ、ということにしましても相矛盾する関係のハザマには限りない糸筋があるようにも思えます。
 愛語よく廻天の力あるを学べ、といわれた道元も愛語は愛心より起り、愛心は慈心を種子とせりと教えています。
 この種子を己れの心にまき、育て、花園を持つところに明るい言葉の源が産まれるのでありましょうか。
 言葉は命(ミコト、マコト)を源とするが故に行ないとなって外に顕われるものであります。
 即ちコトバはヒトでありヒトはコトバであるということに通じるわけであります。
 このことは行ないの本質を見定めるということについて大切なことであります。
 合気道におきましても内なる誠が外に現われるが故に、内なる誠を練って練って練り直して精進せよとの教えがあります。
 「言霊とは腹中にタギル血の姿をいう」とは、何げない生活になげかける一筋の光であると信じます。

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