歌二首

  真砂なす数なき星の其の中に
  吾に向いて光る星あり
              正岡子親
 一瞬のいのちを永遠にいきる、とでもいうのでしょうか、実に堂々たる輝きのある歌ではありませんか。
 一滴の水、一枚の葉、一筋の光明、どのひとつをとっても計り知れないチカラや自信と希望が秘められていることを感じさせられます。
 物事はその人の考え方にもよるのでしょうが、マイナスの面ばかりをみていると結果として味けないものとなってしまうことが多いのは自身の境遇についても、ついつい不足にのみ気を執られることから本来の素晴らしい可能性を持ち合わせて居乍らその存在に気付く感性を自ら封じてしまうことによるからではないのでしょうか。
  千の薔薇に蜂来れば我王の如し
              中村草田男
 同じような句ですが、こちらも実にゆったりとしてそれでいて強い自己主張があり、又その自己というものを自我から解き放しているところに見事さを感じさせられます。
 道元師の「愛語よく廻天の力あるを学べ」といわれたことを彷彿とさせられます。
 優先され勝ちな「量」ですが、やはり「質」も大切であります。
 自他に秘められている例えわずかなと思われる可能性といえども、確実に存在する「確かな安心」を発見し、思い到り、感じ、育てることが即ち「質」であり「量」であると思います。
 合気道の稽古にいたしましても当然、この感じ、育てるという「質」も「量」も同時に求められることは云う迄もありません。