修得

 山本七平氏の「無所属の時間」(PHP文庫)の中に、「原則が簡単なものほど修得も実施もむずかしいという厳然たる事実」への認識について触れた部分がありましたが、厳然たる事実かどうかは別としまして、確かに原理、原則が単純であればある程、入り易い反面、普遍的であるためにかえって奥が深くなっているということがいえると思います。
 例えていえば、人の生命についても、生きている間は死ぬことはありませんが、この単純明解な原則にしても、「絶える迄生き通す」という信念と勇気をもって何如に活き活きと生き、その間何を得、何を修めるべきかに思いが至ればこれは並や大抵ではないことは容易に想像されます。
 以前、囲碁の林海峯さんが、ある局面から更に先を「読む」ということを、「深い海に潜る」ということに例えていた記憶があります。
 当人にしてみれば苛酷な対局を何度も何度も経た末に修め得た経験からの例え話であると思います。
 現実の水は冷たくもあり、重くもあり、水に潜ろうとすればすぐに浮こうとする浮力や水圧が、深く潜れば潜る程かかってきますが、どこまでそれらに耐えることができるかという力と技術の修得を積み得た人にしてはじめて深く進むことが可能だということを示唆してくれております。
 人のさりげない所作や、目を見張る様な素晴らしさは1朝1夕に成るものでもなく、かえって一見簡単そうに見えたり、思えたりするような場合こそ相当な力量が伴われていることを知るべきであると思います。
 合気道の目標でもある「自然との一致」を「完成」とするならば、不完全である以上、正しく行なえば必ず進歩するということも当然であって、修得の意義も楽しさもこの辺にあると思います。