「飛ぶ高さを気にせず 空の深さを加減しない あのいかにも悠々としたオクラホマの鷹」
昨年の十月、気候の良い時に所用でアメリカのオクラホマ迄行く機会を得た折の、中でも特に印象的であったのが、澄んだ高い空を悠々と群れて飛ぶ鷹の姿であった。
自己の奥深く「スム」ところの存在に触れるには高さを気にせず、深さを加減しない程の「大きさ」が合うことをオクラホマの鷹はおしえてくれた。
大きくなるということは単に量的に膨らむばかりでなく、質的な脱皮や、場合によっては捨て去る勇気、穀を破る力、そしてそれらの養成も必要でありましょう。
又、「大きい」ということには「小さい」ということを含むということにも気付くべきでもありましょう。
どれ程の微細、極小のヒダや変化にも対応できる「小」なるものの存在を認めてこそ、どれ程の太さ、広さにも悠々として追随、順応して行ける大きさ、大いさも活きて来
ると云えましょう。
飛ぶ高さと、空の深さを気にしない鷹でさえ、一心に群飛の仲間と調和し、地上の、あるいは上空の全ての形あるもの、動くものに気を配り、しかも、自らの羽根は極めて微妙に、休むことを知らない。
「大きい」ということも、「小さい」ということを含めた呼吸の一種としてみれば、確実に呼吸することの大切さからみれば大も小も同等の価値があると思います。
合気道も正に、大小、動静、柔剛、融固、加減、浅深、生死等々を誤ることなく有り有りとさせる為の呼吸法の錬磨、稽古であるものと信じます。