1989(昭和64~平成元)年

・1989年01月21日(土) 片手取り体の転換、同入身投げ(上段、中段、下段)、同四方投げ、同一教
・1989年01月22日(日) 本日鏡開き 直会出席41名
・1989年01月24日(火) 両手取り天地投げ、同呼吸投げ
・1989年01月28日(土) CATVの撮影あり(第1回) 1.合気道とは 2.気を合わせる(合気道の名前の由来 3.特色(試合がない) 4.特色(呼吸力) 5.受身について 今週の実技:体の転換、膝行、一教、入身、四方投げ
・1989年01月29日(日) CATV撮影(第2回) 基本と応用(体の転換、膝行、一教、入身)を一つずつ、両手取り四方投げ
・1989年01月31日(火) 本日は後ろ両手取りの練習:一教、三教、応用(後ろ両手取り、含む四方投げ)
・1989年02月04日(土) CATV撮影(第3回) 6.技法について 投げ技、押さえ技、座り技、立ち技、半身半立ち 7.稽古法について 右、左。我彼交互に。正しさを競う 8.呼吸力の養成について 9.上達の心得 形から入り形にとらわれない。武産。素直な心 今週の実技:四方投げ、呼吸法その一(座技)、呼吸法その二(立ち技)、小手返し、天地投げ、呼吸投げ
・1989年02月05日(日) CATV撮影(第4回) 実技:四方投げ、呼吸法その1(座技呼吸法)、呼吸法その2(諸手取り立ち技呼吸法)、小手返し。天地投げ、呼吸投げは次回。 前半:子どもと一緒 後半:自由稽古(後ろ両手取り入身投げ中心)
・1989年02月07日(火) 片手取り四方投げ、両手取り四方投げ、片手取り入身投げ
・1989年02月11日(土) CATV撮影(第5回) 今週の実技:天地投げ、呼吸投げ、多人数掛け、二人掛け、対武器、総合まとめ 今週の話:礼について、中心ということ、存在を認めるということ、総合まとめ
・1989年02月12日(日) 前半:自由 後半:回転投げ 審査
・1989年02月14日(火) 回転投げ、片手取り呼吸投げ、腰投げ
・1989年02月18日(土) CATV撮影(第6回) 話:上達の心得、武道と日常生活について、合気道の勧め、まとめ 実技:小手返し、呼吸投げ、多人数掛け、二人掛け、対武器、まとめ
・1989年02月19日(日) 前半:自由 後半:正面打ち四教、横面打ち五教、同四方投げ、同応用腰投げ 審査
・1989年02月21日(火) 半身半立ち片手取り呼吸投げ、杖による投げ基本、杖取りによる投げ基本
・1989年02月25日(土) 両手取り四方投げ、同一教、同二教、同天地投げ
・1989年02月26日(日) CATV撮影(第7回) 両手取り、自由稽古 審査
・1989年02月28日(火) 二人掛け基本
・1989年03月04日(土) 座技と半身半立ちと立ち技で、正面打ち一教と同入身投げ
・1989年03月05日(日) 前半:自由 後半:正面打ち入身投げ、同一教、諸手取り一教
・1989年03月07日(火) 座技と立ち技で、肩取り一教、同二教、肩取り正面打ち呼吸投げ
・1989年03月11日(土) 肩取りと肩取り正面打ち 一教、二教、呼吸投げ、入身投げ、小手返し
・1989年03月12日(日) 肩取り正面打ち
・1989年03月14日(火) 片手取り体の転換、片手取り入身投げ基本、座技呼吸法 ※念入りな十分な稽古
・1989年03月26日(日) 片手取り入身投げ
・1989年03月28日(火) 正面打ち一教、二教、三教、四教、四方投げ
・1989年04月01日(土) 正面打ち四教、片手取り四教、両手取り四教、片手取り四方投げ、両手取り四方投げ、諸手取り呼吸投げ
・1989年04月02日(日) 第二回合気道教室(一日目)(大人4名、子ども3名 座技一教、同二教) ※初日。4名の参加あり。見学者を含め50名ほどの人が入場。にぎやかであった。特に、今回○○一家(4名)が全員そろって入会したいとのこと(娘時代から合気道を知っていた?)。江原青少年センターで演武。出席6名、見学3名。他に生け花、体操、民謡などあり。昼食事(お弁当支給あり)、地元の老人とゲートボール。合気道代表5氏は18対7で惨敗。楽しく、すばらしい一日であった。地元の老人、子どもが40名ほど見学あり。お年寄りに合気道のよさを感じてもらえたのがうれしい。
・1989年04月09日(日) 合気道教室二日目(片手取り四方投げ、同入身投げ) ※柏の10周年記念演武会出席 於:柏市民体育館
・1989年04月11日(火) 片手取り入身投げ、正面打ち入身投げ、諸手取り呼吸法、座技正面打ち一教 ※片手取り入身投げに感ずるところあり。しっかり立っている実感あり。最近思うこと。正面打ちとは、正面を打たせること。これは片手をとらせることと同じなり。入身投げとはしっかり立つことと思う。
・1989年04月15日(土) 体の転換、片手取り一教裏、同二教裏、同四方投げ
・1989年04月16日(日) 合気道教室三日目(両手取り四方投げ、同回転投げ、同天地投げ) 稽古:片手取り入身投げ、両手取り天地投げ、片手取り呼吸投げ、半身半立ち呼吸投げ
・1989年04月18日(火) 両手取り前と後ろ(主として後ろ)一教、同二教、同四教、同小手返し
・1989年04月22日(土) 受身基本、片手取り四方投げ、横面打ち四方投げ、同小手返し、同入身投げ
・1989年04月23日(日) 合気道教室四日目(受講者1名) 稽古前半:座技正面打ち一教、同入身投げ、 後半:両手取り(前と後ろ)
・1989年04月29日(土) 正面打ち一教
・1989年04月30日(日) 合気道教室五日目(受講生一人もなし) ※子どもに道場入口でのおじぎの話。
・1989年05月02日(火) 正面打ち一教、片手取り四方投げ
・1989年05月06日(土) 転換法基本、正面打ち入身投げ、横面打ち入身投げ、諸手取り入身投げ、後ろ両手取り入身投げ、同十字投げ、同腰投げ
・1989年05月07日(日) 片手取り一教、同入身投げ、同四方投げ ※力は入れるものではなく、働かせるものである。博愛の本義は、自他の○をできる限り取り去ることである。礼とは、天の秩序なり。数学の本体は調和の精神である。
・1989年05月09日(火) 小手返し
・1989年05月16日(火) 片手取り呼吸投げ、両手取り呼吸投げ
・1989年05月20日(土) 両手取り入身投げ、両手取り呼吸投げ
・1989年05月21日(日) 正面打ち入身投げ、両手取り呼吸投げ
・1989年05月23日(火) 正面打入身投げ、同両手取り呼吸法、同
・1989年05月27日(土) 本日より座技に入る。正面打ち一教、半身半立ち呼吸投げ(全身を使い、前に出る稽古) ※全国合気道演武大会(於:日本武道館)三氏見学
・1989年05月28日(日) 座技肩取り一教、同二教、後ろ両手取り三教、応用へ(立ち技肩取りと前両手取り四方投げ、片手・両手・肩取り呼吸投げ)
・1989年05月30日(火) 座技肩取り一教、同二教、肩取り正面打ち三教、正面打ち四教
・1989年06月03日(土) 座技正面打ち一教、同二教、同三教、同四教、肩取り正面打ち小手返し、同四方投げ、応用へ
・1989年06月04日(日) 両手取り入身投げ、同天地投げ、同呼吸投げ、(含む腰投げ) 審査
・1989年06月06日(火) 座技正面打ち一教、両手取り一教、同二教、同小手返し、同天地投げ、同呼吸投げ、同腰投げ
・1989年06月10日(土) 片手取り一教、同小手返し、同入身投げ
・1989年06月11日(日) 片手取り四方投げ、同回転投げ 審査
・1989年06月13日(火) 片手取り一教、同三教、同四方投げ、両手取り四方投げ、横面打ち四方投げ
・1989年06月17日(土) 正面打ち一教、同二教、同三教、同四教、正面打ち入身投げ、諸手取り入身投げほか
・1989年06月18日(日) 横面打ち入身投げ、同四方投げ、同小手返し 審査 ※県連理事会(10月8日県武道館にて合同稽古、平成2年1月に県武道館にて演武大会、秋に決定すれば春、佐倉において合同稽古又は春に決定すれば秋、佐倉において合同稽古)
・1989年06月20日(火) 立ち技正面打ち一教、半身半立ち二教、同小手返し、同入身投げ
・1989年06月24日(土) 片手取り一教、両手取り二教、同四方投げ、杖による投げ ※免状着。いつもながらの素早さに感謝。
・1989年06月25日(日) 座技と半身半立ち ※免状を渡す。
・1989年06月27日(火) 半身半立ちと立ち技で正面打ち入身投げ、同小手返し、後ろ両手取り呼吸投げ

 「道というのは、丁度、体内に血が巡っているように、神の大み心と全く一つになって離れず、大み心を実際に行じていくことをいうのである。
 神の大み心を少しでも離れたら、それは道にはならない。」合気道開祖、植芝盛平翁のことばであります。
 道といえば、画家である林武の著書、「国語の建設」という本の中に興味深いことがありました。
 それは、「みち」は「みうち」(真中)から転じ、道になり路となった。と、示されていたことであります。
 道ということの本義が、真中(みうち)、即ち、真事(まこと)、命(みこと)に連なるという理解のしかたに本来の意味があるというところに我が意を得た思いがいたしました。
 会報第三号で申し上げました、「真中ということは片寄ることなく一切の端を含み持つ。」ということ、又、第十四号にありました、「人はまことの源泉たれ。」といった古人の教えが改めて思い起こされます。
 これらの教えには、言葉や意識の奥には存在し、行じている貴重な世界のあることを示しているように思います。
 日常生活にあっては、自我の意識が行ないの舵取りをするために、いいかげんな言動になり勝ちであります。
 しかし乍ら、行ないのさなかにあること、そのことは、泥中から蓮華が咲き、食がいのちの鎖となるように、種々ある事情々実があってこそ、花も実もある人生と云えはしないでしょうか。
 冒頭の「道とは神の大み心を実際に行じてゆくこと。」と示された言葉には、人の生き方への一つの指針を与えてくれるものがあるように思えてなりません。
 このような考え方に思いを深くさせて載ける合気道と、その同志の存在に対して改めて感謝する次第であります。