魂のひびき(植芝盛平翁語録)

 合気は宇宙組織の魂のひびきを神習うての発動である。
 宇宙組織を宇宙の魂のひびきによってことごとく自己の心身に吸収して結ぶのである。
 すなわち和と統一に結ぶのである。
 これが合気である。
 合気は、いうなれば真人養成の道であるともいえる。
 宇宙組織の魂のひびきの修行によって、自ずと自己の心の立て直しが行われて、真の自己を造りあげる。
 つまり合気道は禊の技であるということである。
 禊の技で常に万有愛護の大精神を鍛え、万有万神の条理を守り、正勝、吾勝、勝速日の精神に立った姿でなければならない。
 合気道を修行する者は、万有万神の条理を武道に還元さすことが大切なこととなってくる。
 万有万神の条理から来る真象を眺め、真象を通して合気道の技は、合気の原理を通して創造することが可能な故、どんな微妙なる宇宙の変化にも、よく注意しなければいけない。
 真実のことを達するには、宇宙の真理に合気することが大切である。
 いつもいう「美わしき この天地の御姿は 主の造りし 一家なりけり」と。
 宇宙組織の魂のひびきを神習うての、無限の力は、このように世界を和と統一に結んでいく力をもっているのである。

魂の現われ(植芝盛平翁語録)

 宇宙の現われの根元は魂の現われであり、愛の現われである。
 合気道はその根元を現わすもの。
 神人一体の合気の理を傷つけないようにするところに、宇宙や万物の無限の発展完成が約束されている。
 宇宙に賦課された、この有意義な大使命を果すことによって聖い世界を形成させることができる。
 これが和合である。
 人間の姿の内に大宇宙を見出し、帰一表現の原理を悟らなければならない。
 人間も食べ物を取り入れて自己の内に宇宙が入ってくるように、宇宙の愛の働きのいろいろを、そのまま行ない現わすものでなければならない。
 地上のすべてのものは宇宙の愛の働きである。
 すべてのものを一体にまつり合わせ、和合させる宇宙の心を自己の心として、使命として、各人も努めねばならない。

真の武道(植芝盛平翁語録)

 合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。
 合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。
 そこには速いとか遅いとかいう、時間の長さが存在しない。
 この時間を超越した速さを、正勝、吾勝、勝速日という。
 正勝、吾勝、勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することである。
 では、いかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。
 それには、まず宇宙の心を、己の心とすることだ。
 宇宙の心とは何か、それは上下、四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。
 愛は争わない。
 愛には敵はない。
 宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。
 真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである。
 それは殺し争うことでなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。
 愛とはすべての守り本尊であり、愛なくば全ては成り立だない。
 「勝つ」とは已の心の中の「争う心」に打ち勝つことであり、已に与えられた使命を成しとげることである。

魂の気の養成(植芝盛平翁語録)

 この道は天に学び、地にまなび、宇宙の中心に結んで、自己の息に結び遂げていくものであります。
 魂の気の養成と立て直しをしなければなりません。
 全て結び(産霊)でなければ稽古が無駄になるからであります。
 声なき声をもって、魂の気を組織しなければなりません。天運循環して生じる中心は自己にあります。
 世界中を和と統一で結んでいくものもまた合気であります。
 [ア]は自ら[メ]は巡る。すべて世の中のことは、おへその中からでてくるひびきであります。
 このひびきに自己を結ぶのであります。
 魂の気で結ばなければ世界中はなかなか結ばれないでしょう。
 世界を結ぶことに地球上の人々はいろいろな立場からこの結びを実践に移さなければなりません。

形のない学び(植芝盛平翁語録)

 合気道は万有万神の条理を明らかに示すところの神律神法であります。
 一人一人が心の洗濯をして心の立て直しを行うことであります。
 自分の心の立て直しができて和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、八百万の神、こぞって協力するはずになっております。
 魂の比礼振りでありますから形のない学びであります。
 そこに、またひとつの神ながらの道をば、おぼえていただきたい。
 この道は、天の浮橋に最初に立たなければならないのです。
 天の浮橋に立たねば合気は出て来ないのであります。
 那岐、那美、二尊が天の浮橋に立って、発し兆し、世の成り立ち、未来永遠にすべてのことを教える案内役たるところの神ながらの道。
 この合気もまた天の浮橋に立ちまして、そこからものが生まれてくる。
 これを武産合気といいます。

古事記の実行(植芝盛平翁語録)

 古事記の実行が合気である。
 四魂の働き、結びて力を生ず。
 愛を生み、気を生み、精神科学が実在をあらわす。
 神の言葉そのものが気である。
 正勝、吾勝、勝速日の御事に神ならわねばならない。
 正勝は屈せぬこと、吾勝はたゆまぬこと、勝速日は勝利栄光をいう。
 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命とは大きな、そしてすぐれたお方の義。
 一人一人が心の洗濯をし、心の立て直しをする。
 世界から戦争、喧嘩をなくす。
 それが小戸の神業である。
 昔から「武は神なり」と言われている通り、武は神の立てたる道にして真、善、美なる経綸とともにある。
 真人をつくる道でもある。

道(植芝盛平翁語録)

 悟り行うものは、刀法一身の動きと、自己を絶えず磨き研がなければならない。
 この道は言葉や理屈ではなく天地万有のひびきのなかにある。
 道というのはちょうど体内に血が巡っているように、神の大御心と全く一つになって離れず、大御心を実際に行じてゆくことをいう。
 神の大御心を少しでも離れたらそれは道にならない。
 自己を知り、大宇宙の真象に学び、そして一元の本を忘れず、理法を溶解し、法を知り、光ある妙技をつくることである。
 合気道には形はなく、すべて魂の学びである。

魂の実を結べ(植芝盛平翁語録)

 現代は魄(物質)の世界である。
 魂(精神)の花を咲かせよ。
 魂の実を結べよ。
 魂の花を咲かせ、魂の実を結び、顕幽神三界を守るところの人格者とならねばならない。
 多宝仏塔は自己の中に建てるよう。
 そういう境地に少しでも近付ければ合気道とは何のために行うものなのかが分かってくるはずである。
 自己を縛らず、自己に縛られず、真の自己を生みだす場の体を大切に扱い、精神の道をきれいに掃除しておかねばならない。
 心を磨いて魂の道を明らかにすれば、働きは融通に変わる。

魂の学び(植芝盛平翁語録)

 合気道は、魂の学びである、魂魄阿吽の呼吸である。
 また、合気道は宇宙の営みの御姿、御振舞いの万有万神の条理を明示する大律法である。
 我々は正勝(まさかつ)、吾勝(あかつ)、勝速日(かつはやひ)の精神をもって誤またずに道を歩まなくてはならない。
 合気道に進まんとする者はこのことをよくよく心得て、宇宙の真象を眺め、己に取り入れ己の門を開いていかなければならない。

(開祖講話より)

 この項目は配布した会報の中に載せられた「開祖講話より」九回分をまとめたもので、「合気道神髄・植芝盛平語録・植芝吉祥丸監修」(柏樹社)から抜萃させて頂きました。
 内容は昭和三十四年四月十日に創刊された「合気道新聞」等に「道文」として載せられた植芝盛平翁の語録が中心となっております。
 筆者も開祖のお稽古の折には解からぬながらも真剣に聞かせていただいたものであります。
 「合気道を学ぶ者は古事記を学びなさい。何故ならば合気道は古事記の営みであるのだから」と教えていただきました。
 「合気道神髄」は難解ですが合気道の理念の源を訪ねる宝の山ともいえる著書であります。
 合気道人の座右の書として稽古と共に探究されることをおすすめいたします。