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【佐倉合気会会報】2020年10月
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佐倉市民体育館の利用時間制限が10月5日(月)から緩和されることになりました(9月25日付け佐倉市ホームページ)。
午後5時までとされていましたが、午後9時までの夜間利用が再開されます。
なお、柔道場の利用可能人数も15人から30人へと引き上げられます。
これに伴い、火曜日の稽古を10月6日(火)から再開いたします。
なお、更衣室・シャワー室は、現時点でまだ利用できず、「順次再開予定」とされています。
また、昨3日(土)、理事会が開かれ、今後の稽古内容について協議を行いました。
その結果、次のとおり体術の稽古を一部再開するなどの見直しを行うこととしました。
(1) 10月17日(土)から、杖の稽古の後、体術の稽古を30分程行うこととしました。
なお、体術での感染リスクに不安を持つ人を考慮し、杖の稽古でいったん区切り、そこで稽古を終えても差し支えない旨を周知徹底します。
(2) 体術の稽古開始に当たっては、コロナ感染防止対策を一層徹底します。体術の稽古に入る前に、全員で畳の消毒の雑巾掛けを行うとともに、体術の稽古では、こまめに手指の消毒をします。
(3) 稽古時間は、火曜日(19:00~20:30)、土曜日(15:00~16:30)は現状どおりですが、日曜日については10:00~11:30が杖の稽古、畳拭きを挟んで、11:40~12:10が体術の稽古とします。
新型コロナウイルス感染防止のため、引き続き、マスクの着用、発熱・咳等の症状があれば出席を控える、手洗いの徹底をお願いします。
12月末までの体育館の予約が確定しました。
稽古定例日とお休みの有無は、次のとおりです。他団体の先行予約が取り消されたため、10月10日(土)、11月7日(土)、同8日(日)、同21日(土)、同22日(土)は、稽古が可能となりました。
【10月】
10月3日(土)
10月4日(日)お休み
10月6日(火) (この日以降、火曜日夜の稽古が再開となります)
10月10日(土) (注:佐倉市秋祭りは取りやめとなりました)
10月11日(日)
10月13日(火)
10月17日(土)
10月18日(日)
10月20日(火)
10月24日(土)
10月25日(日)
10月27日(火)
10月31日(土)
【11月】
11月1日(日)
11月3日(火)
11月7日(土) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
11月8日(日) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
11月10日(火)お休み(佐倉市職員健康診断のため)
11月14日(土)
11月15日(日)
11月17日(火)
11月21日(土) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
11月22日(日) (注:佐倉市事業は取りやめとなりました)
11月24日(火)お休み(休館日のため)
11月28日(土)
11月29日(日)
【12月】
12月1日(火)
12月5日(土)
12月6日(日)
12月8日(火)
12月12日(土)
12月13日(日)
12月15日(火)
12月19日(土)
12月20日(日)
12月22日(火)
12月26日(土)
12月27日(日)稽古納め
注:12月29日(火)、1月2日(土)、同3日(日)は年末年始の休館日です。
新年の稽古始めは1月5日(火)となります。
○納会と新年鏡開き
本年の納会は、新型コロナウイルスの感染状況を考慮し、開催見送りとしました。
恒例の新年鏡開きは、1月17日(日)に予定しています。
*** 山根政行著「へちまの葉」(p102~103)から ***
「父と子と」
近頃いい話を聞きました。
なまいき盛りの中学二年生の息子さんを持つ父親の話であります。
とても心に残りましたので皆さんにも紹介させていただきます。
反抗的な中二の息子は親と口を聞こうともしない。
心配する母親には「放って置け」を繰り返していた。
ある日「おやじ、小遣銭上げてくれ」ときた。
「進学の勉強をせい」と一蹴した。
翌朝、五時半から彼の新聞配達が始まった。
豪雪の冬を休まずに続けた三年生の春、「修学旅行欠席届をもらったが…」と、担任が妻に尋ねた。
思い当るものがあった。
早暁、「ジョギング代わりにお前についていく」というと意外に拒否もせずニヤリとした。
ニキロ先の新聞販売所から四十数軒配り終えるまでつき合って一週間、「おい修学旅行にいってこい。新聞は引き受けた」というと、冷たい霧の中で涙を隠す息子の、まだ幼さの残る丸い肩に満足の安堵を見た。(日本新聞協会ハガキエッセーコンテスト優秀作「十数年前の絆」)
この短かい話の中に含まれる父と子の思いのさりげなさとそして深さに打たれました。
以前、通勤の途上、京成佐倉駅上りホームで電車を待つ間、下りホームから老いた魚屋さんが魚をたくさん入れたブリキ製の大きな箱を担いで階段を昇る姿を時折みかけました。
箱についた帯が肩にくい込むその姿から、遠い昔、持ち切れない程の新聞をかついた幼い頃の自分の姿が重りました。
反抗するということ、受け容れるということ、父親の男らしさ、母親の女らしさということ、等を考えさせられました。
合気道を学ぶということはこうした父と子と、といった縦の糸一本にしても単に「種」として意味を持つのでなく「いのちが生きる」のだ、ということを学ぶことにつながるように思えます。