財団法人合気会が編集し、出版芸術社が発行している「合気道探求」第三十七号への寄稿依頼が昨年十月に本部道場からありました。
コーナー名は「合気道人生」、字数は五千二百字程度、写真は十点程、とくに昔の写真を多めに、タイトル名を付けて、期日は十一月十日迄、とのことでありました。
無名の一会員を自負する小生にとっては思いがけない依頼でありました。
十月末には名古屋での研修会をひかえていたこともあって準備を急ぎました。
先人がどのような内容を書いていたのか、自分の場合は何をどのように伝えたらよいのか、等をメモにまとめることから始めました。
写真は手持のもので間に合わせました。
そして多くの不備はありましたが、タイトル名を「合気道とへちまの葉」として名古屋行の前に投稿することができました。
「へちまの葉」については、その時たまたま読み終えた「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の中にあった正岡子規に関連した場面の印象から引用したものであります。
司馬さんがどのようにしてこの場面を執筆されたのかは正確にはわかりませんが、小生の調べでは子規が、明治三十五年九月十九日の未明に三十五才で没した数日前の九月十四日の朝、付き添っていた弟子の高浜虚子によって口述筆記された「九月十四日の朝」という小文が残っており、その中に「たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。」とありました。
「子規にとってはこのへちまの葉のゆらめきだけが天地の変化のすべて」と書いたのは、おそらく司馬さんの子規への想いがそうさせたものと推察いたします。
発行された同じ三十七号の中に田村信喜先生のことばとして「私は合気道とは自分を知るためのもの、と考える。」とありました。