魂の学び

 合気道は、魂の学びである、魂魄阿吽の呼吸である。
 また、合気道は宇宙の営みの御姿、御振舞いの万有万神の条理を明示する大律法である。
 我々は正勝(まさかつ)、吾勝(あかつ)、勝速日(かつはやひ)の精神をもって誤またずに道を歩まなくてはならない。
 合気道に進まんとする者はこのことをよくよく心得て、宇宙の真象を眺め、己に取り入れ己の門を開いていかなければならない。

(開祖講話より)

 この項目は配布した会報の中に載せられた「開祖講話より」九回分をまとめたもので、「合気道神髄・植芝盛平語録・植芝吉祥丸監修」(柏樹社)から抜萃させて頂きました。
 内容は昭和三十四年四月十日に創刊された「合気道新聞」等に「道文」として載せられた植芝盛平翁の語録が中心となっております。
 筆者も開祖のお稽古の折には解からぬながらも真剣に聞かせていただいたものであります。
 「合気道を学ぶ者は古事記を学びなさい。何故ならば合気道は古事記の営みであるのだから」と教えていただきました。
 「合気道神髄」は難解ですが合気道の理念の源を訪ねる宝の山ともいえる著書であります。
 合気道人の座右の書として稽古と共に探究されることをおすすめいたします。

天皇の手を握った男

 去る十一月十二日(水)、天皇・皇后両陛下とスペイン国王・王妃両陛下の前で茨城県つくば市に於いて合気道と鹿島新当流の演武が披露されました。
 国賓として来日されたスペイン国王、王妃の日本武道への関心が高かったことから実現されたとのことであります。
 合気道の演武は茨城道場の稲垣繁實師範を中心としたメンバーの演武があり、鹿島新当流からは六名の演武者がありました。
 この六名のメンバーの中に、なんと、佐倉で共に合気道を学ぶ吾等の仲間、横尾廣美さんがおりました。
 制限された見学者の中には同じく仲間の末永剛君も含まれておりました。
 お二人にとっては貴重、且つ名誉な体験であった事と思います。
 永く記憶に留めるためにも是非この会報に残したいと思いました。
 演武の終了後に労らいのお言葉があった際に、伏し目勝ちにおじぎをしていたご当人は天皇陛下のお手が少し動いた(と思った?)のを機に思わず握ってしまったそうであります。
 後で長老から「馬鹿野郎、普通は陛下の手は握らないものだ」としかられたそうでありますが、本人の面目躍如といったところでしょうか、陛下はしっかりと横尾さんの手を握りかえしてくれたそうであります。
 そして皇后陛下のお手は小さく、「思わず胸がつまった」と、その時の印象を語ってくれました。
 日々にご修養の深い両陛下に触れて身も心も洗われる思いであった事でありましょう。
 昔、旧本部道場での開祖の稽古中のお話の中で「塚原卜伝先生」と言われていたのを聞いたことがあります。
 我々には講談の中の人物でしたが開祖には「先生」といえる程身近に感じておられたのでしょう。
 植芝盛平先生の新当流宗家に対する厚い礼節は今だに語り伝えられているとのことであります。

へちまの葉

 財団法人合気会が編集し、出版芸術社が発行している「合気道探求」第三十七号への寄稿依頼が昨年十月に本部道場からありました。
 コーナー名は「合気道人生」、字数は五千二百字程度、写真は十点程、とくに昔の写真を多めに、タイトル名を付けて、期日は十一月十日迄、とのことでありました。
 無名の一会員を自負する小生にとっては思いがけない依頼でありました。
 十月末には名古屋での研修会をひかえていたこともあって準備を急ぎました。
 先人がどのような内容を書いていたのか、自分の場合は何をどのように伝えたらよいのか、等をメモにまとめることから始めました。
 写真は手持のもので間に合わせました。
 そして多くの不備はありましたが、タイトル名を「合気道とへちまの葉」として名古屋行の前に投稿することができました。
 「へちまの葉」については、その時たまたま読み終えた「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の中にあった正岡子規に関連した場面の印象から引用したものであります。
 司馬さんがどのようにしてこの場面を執筆されたのかは正確にはわかりませんが、小生の調べでは子規が、明治三十五年九月十九日の未明に三十五才で没した数日前の九月十四日の朝、付き添っていた弟子の高浜虚子によって口述筆記された「九月十四日の朝」という小文が残っており、その中に「たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。」とありました。
 「子規にとってはこのへちまの葉のゆらめきだけが天地の変化のすべて」と書いたのは、おそらく司馬さんの子規への想いがそうさせたものと推察いたします。
 発行された同じ三十七号の中に田村信喜先生のことばとして「私は合気道とは自分を知るためのもの、と考える。」とありました。

 朝日新聞に読者の声を集めた「声」というコーナーがありますが、十一月十八日付でとても素晴らしい話がありました。
 千葉県鎌ヶ谷市にお住まいの八十八才の方のお話です。
 十七年間飼っていた二匹の亀の将来を思って近くのお寺の池に放しに行ったところ、放たれた亀がおじいさんの後を追いかけて戻ってきた、という話であります。
 十七年前にお祭の夜に買った小さな二匹の亀はオスはクロ、メスはチビ、と名付けられて甲羅の大きさが三十センチに迄育ったそうであります。
 メスのチビは散歩につれてきてもらったと思ったのでしょうか、すぐに池に飛びこんだそうですが、オスのクロは足元にまとわりついていたそうであります。
 おじいさんが本堂で「亀をお願いします」と祈って帰りかけたところ、二匹の亀はネズミのように亀にしては早駆けで追いかけてきたそうであります。
 おじいさん自身も亀がこんなになついていたとは想像していなかったようで、大切に連れて帰ったそうであります。
 亀と人との間にどのような理解の仕方が存在するのか全くわかりませんが、少なくとも亀に何かわかるか、などという思いがあるとすれば、それは大きな誤りであるということだけは確かなようであります。
 人は自分の理解の範囲内で物事を判断し易いものでありますが、とらわれ、こだわり、といったことから少しづつ解放されて、自分の中の自然さをどんどん出してゆきたいものであります。
 又、合気道の稽古もそのような方向に添うものであって欲しいと願っております。
 この記事に関連して、十一月二十六日付で「読者の反響続々」と声編集長からの報告がありました。

如己堂

 八月九日、テレビに映った歌詩を目で追ったが覚えきれないでいると家内が、「山里小学校はスーちゃんとミーちゃんが通っている学校よ」と教えてくれた。
 早速長崎の孫達に連絡をしてその歌詩を送ってもらった。

 かべに残った落書きの  おさない文字のあの子の名
 呼んでひそかに耳澄ます  ああ あの子が生きていたならば

 「あの子」という題の永井隆博士の作詩だ。
 当日、被爆から六十三年の日を迎えた記念の式典で山里小学校の児童達が唄っていた歌であった。
 勤務先(長崎大学医学部放射線科)の研究室で被爆した永井隆さんは晩年の三年間を周囲の人達の好意によって建てられた小さな家で母を失った吾子二人と共に過された。
 わずか畳二枚のその家は「如己堂」と名付けられた。
 『己を愛する如く人を愛せ』という博士の深い宗教観から生まれたものでありました。
 畳二枚の広さといえば住むには狭い、という考えは三人にとって問題にならなかったのでありましょう。
 暖かさと優しさに満ちあふれていたからでありましょう。
 囲碁の趙治勲さんがその著書の中で、広さは面積で計かるものではなく、その中に潜む変化とか美しさで計るもの、という意味のことをいっていたことを思いだしました。
 戦争のもたらしたいまわしさ、みにくさ、残酷さといったことを生きぬくことへの力強さと美しさに転化した天の意志ともいえる博士の愛の心には敷居も垣根もなかったのでありましょう。
 その姿には合気道開祖植芝盛平翁の説かれた武道の本質に通じるものがあったのでは、と思わざるを得ません。
 この夏、スーちゃんとミーちゃんは母親と一緒にパパの待つアメリカに旅立ちました。

稽古の根幹

 合気道探求第三十六号の「道主巻頭言」の中で次のような内容の文がありましたので、紹介いたします。
  『私が普段の生活で心掛けていることは会話の中で否定語を使わないということです。
 先ず相手を否定する所から始めればその後の建設的な話し合いがあり得ないからです。
 例え意見が異なったとしてもいきなり否定してしまえば相手も良い気持はしません、先ずは相手の意見を受け止め、その後に自分の意見を述べていく、このことは合気道の和合の精神そのままだと思います。』(「否定語」より)
 合気道は武道でありますから、技術の鍛練は勿論大切であります。
 しかしながらその技術を生みだす心の鍛練は更に大切に思えます。
 日々の生活の中にあって自他が融合すべく各自が油断なく言動に留意し、鍛練し、磨き上げて成長してゆくことの大切さを道主が自ら示されている内容でありました。
 神ながらの教えの中にも、「弥栄とは油断しないこと。」とあります。
 たえず崩れ落ちようとするカラダに対して、たえず立ち上がろうとする生命力が働くように、又、たえず誤またんとする力に対して、たえず正そうとする力が働くように常に油断しない心掛けが即ち成長してゆく秘訣、という教えなのでありましょうか。
 ともあれ、素直な心をもって広い視野に立ち、手伸しくのびのびと自らに与えられた事情、情実を受け入れて我まま勝手なき我の実現をめざすことこそ修養の本質であり、稽古の根幹をなすものではないでしょうか。

合同合宿を終えて 二

 今年も盛大に、且つ無事に合同合宿稽古を終えることができました。
 佐倉での唯一最大の行事であるこの合宿に皆様お一人お一人が中心となって結束された現実は、参加された各団体、個人の深く印象に残ることでありましょう。
 この合宿は日々の稽古の積み重ねの大切さを反省させられる場でもありました。
 人の思いのふれあいの楽しさを再認識させられる場でもありました。
 多くの一人一人に新らたな物語りが生まれた場でもあったことと思います。
 いのちの実現と追進のかたちはさまざまでありますが、「一は多を産み、多は一に帰す。」の教えの通り、合気道の技も人の心も固定されたものでなく一呼吸一呼吸生きているように思えます。
 何故ならばいのちは常に追進し、有るが故に有らしめようとするからであります。
 稽古の意味もそこにあるようにおもえます。
 合気道が、自然さと自由さを要件とする産霊の実現であるならば、一人一人が中心となって輝き多くの人達が一つになったこのような合宿は、合気道の何たるかを考える上でも貴重な場であったことは確かであります。
 皆様ありがとうございました。

  根ともなり幹とも葉とも現れて
  我とうものに目覚めてあらまし(古歌)

天晴れ

 「天晴れ あな面白 あな手伸し あな明け おけ」
 このコトバは天の岩戸を開いた八百萬の神々それぞれが持つ気分、清明心が弥栄のひとわらいとなって言葉となり一口同音に発せられたものと言い伝えられております。
 「天晴れ」とは晴れ晴れとした心。
 「あな面白」とは人間のもつ本質の輝き。
 「あな手伸し」とは伸び伸びと追進する有様。
 「あな明け」とは一切明白なこと。
 「おけ」とは意気込み。
 これらは理屈、ことあげの世界ではなく、全一たる気分の現われたもの、とかんながらの道は教えております。
 合気道の稽古に於ける一挙手、一投足、一息一息もこの教えを実践するものであり、この教えの営みでもあるように思えます。

合同合宿を終えて 一

 佐倉の最大のイベントが無事終わりました。
 皆様のお陰です。
 お礼を申し上げます。
 お礼といえば参加された各団体の方々からも心のこもった言葉をたくさんいただきました。
 その中から、軽井沢から参加された前朝日合気会々長の渋川義彦さんからのハガキを紹介いたします。
 裏面に佐久穂町千手院のオオヤマレンゲの美事な花を大写しにした小生宛のお手製ハガキでしたが以下の文面でありました。
 「佐倉の余韻が、途切れません。心と体の不思議を改めて考えさせられました。佐倉の皆さんの心のこもった準備と応対にも感謝いたします。いつ行っても佐倉は温ったかい。ありがとうございました。」
 小生一人に留めおくのはもったいないので渋川さんには無断ですが、披露させていただきました。
 他にもたくさんのメールやホームページの書き込みをいただいております。
 有難いことであります。
 昨年の合宿で初めて出逢った仲間、今年初めて参加された方との出逢い、なつかしい一年振りの人との再会、それぞれの想いはだれもが思う以上に貴重なものであります。
 なぜならば、そのことには気付きにくいからであります。
 元気な時には病気のことを気にしにくいように。
 参加された三人組の若手からは「来年迄待ちきれません。」という若人らしいハツラツとした想いが届きました。
 合気道は武道であることは確かですが、武道とは何か、稽古とは何なのか、何れにせよ「人の想い」から離れればそれは道にも稽古にもならないと思います。
 いろいろと考えさせられた楽しい合宿でありました。