「礼は天の秩序なり」という数学者岡潔博士のことばがあります。
花にせよ、雲にせよ、形あるものが産まれるのは畢竟、調和であり、いのちであるという程の意味であると思います。
このようにして産まれた形が犯すべからざる自他の区別を創造し、且つ競うこともなく己の天分を生かすということの素晴らしさを謳ったものでありましょう。
数学について、「数学の何たるかは私にもわからない、しかし心の中にその元があることだけは確かである」といい、「その心の中でピチピチとしたものをとらえるのが数学であり」、又、一歩一歩踏み進むという学び方から、「小手先の技術の問題でなく、むしろ道義の問題であるとして、ある程度ヒトができなくては何も学ぶことはできない」、ともいい、更に、「いきいきとしたものをなつかしむ心のふるさと、という情操の世界でこそ学ぶにふさわしい」と説いております。
春の野にひっそりと、おごれることもなく、唯咲くことをよろこびとするスミレ草の気高さを認め、「緻密さが欠けるものは一切のものが欠けることに他ならない」といい、対象となるものへの細やかな、丁寧な心くばりを欠いた粗雑さをいましめ、蓄えられ、深められてゆくべき情緒の大切さを説かれた博士も、「アンリ・ポアンカレーの『数学の本体は調和の精神である』という言葉を味わえ」といっております。
昼行灯のように一見役に立ちそうにも思えない学問であるが、数学は「闇を照らす光」であり、「真の調和を観る力」であることを信じていたものと思います。
合気道も全く同じだと思います。
「調和の精神を本体とし、一隅を照らす光は本質をとらえて遅速がない」
一見何の役に立ちそうにもないが故にこそ油断することなくくり返しくり返し行なうことが稽古であると思います。