バイオリニスト辻久子さんの言葉に「(自分は)音楽の神様のお告げを、みなさんに間違いなく伝える役をしているだけなんだと思います」とありました。
更に、「自分が弾いて客に聴かせているという意識がない程最近は心と技と体が一つになったと感じる」ともありました。(朝日新聞「ひと」欄)
サラサーテの名曲「チゴイネルワイゼン」の演奏だけでも三千回を超えるという六十年間バイオリン一筋の辻さんの精進のあとがうかがえる言葉であります。
技術というものが持つ性格に、物の名前や形を憶えておしまい、といった単純な面だけでなく、丁度食事や呼吸がものの命をつなぐ所作であるように、継続しながら修得して行くところがあることから深くこころとからだにかかわり合ってくるものであると思います。
ある意味で、技というものはこころとからだそのものといえるのかも知れません。
心身一如、彼我一体といった境地には何か尊い澄んだものを感じます。
それは修練の過程に於いて余ったところを捨てて、磨いてゆくといった浄化作用が働くからなのでありましょうか。
技術は自然の摂理の体現とも言えましょう。
それ故修得に際しては素直であるということが大切とされます。
その素直さにしましても、こころにも、からだにも求められるところであります。
又、熱いこころを持ち続けることも勿論大切なことであります。
熟するに従って条理が明らかにされてくることは修業する者にとって最大のよろこびであります。
それは創造の世界であるからであります。
しかし乍らこのことは数千回数万回と繰り返される反復のしかも一挙手一投足にていねいなこころの思いが尽くされ、積み重ねられ、養成されてこそ実現可能な世界であります。
合気道の技法の修得にしても同様であります。