学ぶ

 学ぶということは、「まねる」とか「ならう」とかの意味が今日の「学ぶ」になったとされています通り、常に自分と相手の存在をつうじて行なわれるということと、学ぶことによって他の存在を自己の内に認め、そのことによって初めて自分自身も活かされてくるという極めて意義深い関係があることに気付くことがあります。
 人は学ぶことによって成長し、認めることによって深まるものと思います。
 それ故に、学ぶ側には上下、前後、左右はいうに及ばず自分以外の全ての存在に心を延ばし、自分の存在をすら忘れる程に熱く、素直に学ぶことができれば理想といえましょう。
 道元師の言葉にも、自己をならうとは自己をわするるなりとあります。
 自分以外の存在から学ぶことが、つまりは自分を勉強するということに他ならないとも言えましょう。
  人は錬磨によりて仁となる
  いづれの玉か初めより光ある
  自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ
  時光とおなじく切に学道せよ。(懐奘)
 語学にせよ、仕事にせよ、何の世界でもそうかも知れませんが、強い人程、明るい人程、人一倍に日頃勉強しているものであります。
 しかし乍らそれらの人々とて初めからそうであったわけでなく、誰もが平等に学ぶ機会があるものと考えて、力むこともなく、さわやかな風のように、柔らかな朝日の様に素直な気持になることが学びの第一歩でありましょう。
 合気道に於いても、日々の稽古は勿論のこと、正しいと信じられることでさえ捨て去る程のこころをつくることも大切な学びであるとおもいます。