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【佐倉合気会会報】2019年9月(抄)
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夏も終わり秋を迎えます。
爽やかな気候の下で、爽やかに稽古を続けましょう。
2019年11月末までの市民体育館の予約が確定しましたので、稽古日をお知らせします。
稽古の定例日は、日曜、火曜、土曜で、時間は、日曜が午前9時30分より午後零時30分(午前11時30分以降は希望者に対する剣杖の特別稽古)、火曜が午後7時より9時、土曜が午後3時より5時となっています。
稽古日、お休み、課題は、次のとおりです。
佐倉合気会では、まず基礎の技(入身投げ、四方投げ、第一教、呼吸法)とともに、基本技(天地投げ、回転投げ、小手返し投げ、第二教~第五教)を重点的に稽古します。
さらに、合気道の技をより深く修得するため、週単位で課題を稽古します。
【2019年9月】
9月1日(日)横面打ち
9月3日(火)横面打ち
9月7日(土)お休み(千葉青少年会議所ブロック大会のため)
9月8日(日)片手取り(交差取りを含む)
9月10日(火)片手取り(交差取りを含む)
9月14日(土)片手取り(交差取りを含む)
9月15日(日)諸手取り
9月17日(火)諸手取り
9月21日(土)諸手取り
9月22日(日)両手取り
9月24日(火)お休み(休館日のため)
9月28日(土)両手取り
9月29日(日)肩取り
【2019年10月】
10月1日(火)肩取り
10月5日(土)肩取り
10月6日(日)肩取り正面打ち
10月8日(火)肩取り正面打ち
10月12日(土)お休み(秋祭りのため)
10月13日(日)突き・短刀取り
10月15日(火)突き・短刀取り
10月19日(土)突き・短刀取り
10月20日(日)袖取り
10月22日(火)袖取り
10月26日(土)袖取り
10月27日(日)後ろ両手取り
10月29日(火)後ろ両手取り
【2019年11月】
11月2日(土)後ろ両手取り
11月3日(日)後ろ両肩取り
11月5日(火)後ろ両肩取り
11月9日(土)お休み(佐倉市生涯スポーツ課事業のため)
11月10日(日)お休み(渡邉道場(空手)使用のため)
11月12日(火)後ろ片手取り首締め
11月16日(土)後ろ片手取り首締め
11月17日(日)後ろ両袖取り・後ろ両肘取り
11月19日(火)後ろ両袖取り・後ろ両肘取り
11月23日(土)後ろ両袖取り・後ろ両肘取り
11月24日(日)呼吸法・天地投げ
11月26日(火)呼吸法・天地投げ
11月30日(土)呼吸法・天地投げ
○行事等の予定
・11月2日(土)、3日(日)、千葉県総合スポーツセンターにおいて第14回千葉県地域社会合気道指導者研修会が開かれます。講師は本部道場の小林幸光師範、合気道館小倉台道場の岡本昇氏、柏合気会の宮等氏で、参加資格は初段以上です。可能であればできる限りご参加下さい。
○佐倉合気会ホームページのリニューアル
佐倉合気会のホームページについて、維持管理の省力化を図るとともに、内容の見直しを行い、リニューアルしました。山根政行先生ご指導の動画に見出しをつけるなど見やすさも改善しています。
稽古にご活用いただくとともに、内容についてご意見などがあればお知らせください。
また、佐倉合気会が保管する動画ライブラリーの貸出をこの秋から開始する予定ですが、貸出係を募集しています(2~3名)。よろしくお願いいたします。
*** 山根政行著「へちまの葉」(p78~79)から ***
「理解とことば」
先月の天声人語に紹介されました、新開五月さんという方の話ですが、手話の活動を通じて二種類の反応を示す人々に気がついたそうであります。
「ボランティア活動をして偉いわね」と「あまりいい格好ばかりするな」。
どちらも「障害者になにかをしてあげる」という考え方の現われであると感じたそうであります。
「そのどちらでもなく、人と人とがわかり合えた時の幸福感、それだけでいっぱいなのです」。とありました。
人は認められることによって存在感も生まれ、必要とされていることに気付いた時、生きる希望が湧いてくるといったことは日々の生活の中で多くの人々が体験していることだと思います。
ことばの奥に潜む意味にはそのことばを発する本人の自覚し得ない、浅深、軽重、真偽といった部分も表現されるところにことばの持つ尊さ、不思議さが偲ぼれます。
ことばには音声によらないものがあると思います。
普通、ことばといえば意志が声帯を通った空気の振動として理解されますが、例えば充分に補給されて消化が間に合わぬ程の満腹にもかゝわらず食べ続けたり、休養をしたがっているのに休めない等といった、からだの内からの「ささやき」や「さけび声」といったことは真にことばそのものといった感があります。
それらを認めず、無視し続けることがいかに恐ろしいことであるかは万人の知るところでありましょう。
合気道にあっても、身体に現わされる技のハタラキは内なるマコトから発せられる即ちコトバのハタラキである様に思います。
その内なるマコトを更にマコトたらしめるのが即ち日々の稽古であり、したがって稽古は誠の実現の過程であり乍ら同時にその時その時の誠の実現をする目的でもあるといえましょう。
おろそかに出来ぬ由縁であります。