手談

 大岡信さんは「言葉は単なる言葉でありながら、深い意味で人間そのものである。」といっております。(朝日新聞)
 日常かわされる言葉を単に言語とするだけでなく、発する人、受けとる人の奥底に通じる意志や体験といったものが響き合うところに意味があるのだということでありましょうか。
 「言霊とは折り合いをつけながら自らの姿を整えること。」「言霊とは腹中にタギル血の姿を言う。」といった先人の解釈には傾聴に値するものがあります。
 ちょうど布が切っても切っても端を生じるように言葉にも偏ることなく一切の端を含み持つといった中心の考え方が成り立つからであります。
 この解釈を拡大いたしますと、人の声のみならず、行ないそのもの、あるいは自然界の現象といったことがらもことごとく調和を求める本体であるといった考え方に至ることも可能であります。
 囲碁の世界には対局を別名「手談」とも言うそうであります。
 盤上の石が、打ち手の意志をそのまゝ単的に表現されて言葉そのものになり切るからであります。
 合気道の稽古にあっても、切られるところ、突かれるところを知ってこそ切ることも、突くこともできるといった要素があるように思います。
 「合気とは言霊の妙用である。」という尊い教えがあります。
 よくよく吟味すべきであります。
 ともあれ、技の仕組の解明には困難に比例した分のよろこびが伴なうものであります。
 このよろこびの庭に志を同じくする皆様と共に立ちたいものであります。

   庭に立ちたや武産の
   技のさきわうこの庭に
   神楽舞いたや神々の
   栖み集いたるこの庭で