力量の世界

 針の穴を駱駝が通る。ということを聞いたことがあります。
 もちろん実際に通れるものではありませんが現実にあの小さな針の穴をらくだが通れるなどとは考えただけでも楽しくなります。
 人の考え方の斬新さには誇りすら感じさせられるものがあります。
 川上哲治さん辛王貞治さんクラスの人になるとボールがベース上で止まって見え、且つ糸の縫い目迄見えたと聞いたことがあります。
 針の穴にしても、ボールにしても凄い話とは思いますがいずれも実感として実現させるだけの力量を有していればこそであり、当然といえばそれ迄のことであります。
 時速二百キロメートルで疾走する車に同じ速度で並走することができれば相対的に止まっていると感じることができるからであり、復元力を持たない不備は限りなくその不合理を拡大されて行く可能性があるからであります。
 しかし乍ら、時速二百キロメートルで並走すること、即ち相手と同じ速度に合わせるということは容易なことではありません。
 又、自他の不備、不合理を感じること自体力量を要するものであり、更に不合理を合理ならしめる為の力量となれば一朝一夕に成るものとも思えません。
 三種の神器とされる鏡、剣、玉の三つにしましてもそれぞれ調和を感じとる力、調和を実現させる力、調和そのものに価値を認める力を象徴しているものと解釈いたします。
 何キロの重さを持ち上げるというようなベクトル的な力は理解し易いものでありますが、変化し生き続けるいのちのちからの世界にあっては油断ならないものがあります。
 いずれにしましても、バランスはアンバランスの存在によってこそ感じることができるものであります。
 正しきを正しきまゝにとどめずますます正しかれと願う力量の養成が合気道の稽古の中にはあるように思えてなりません。