芸事でも何でも「基本」が大切とされますが、基本とは一体何でありましょうか。
形のみえる「もの」と違って、「こと」がらについてのこのような問題にはいつも乍ら考えさせられることが多いものであります。
単に字句の意味からすれば、もとのもとになる大切なことであることは容易に理解できますが、自己の心身を通じて体得して行くこととなるとなかなか容易でないことは皆様もご存知の通りであります。
物事の本質をとらえるためには、成長し、変化し、必然をたどるその状態を、表面や、形だけにとらわれずに、その意味するところや、全体としての調和とか、うつりゆくさまを確実に、素直に認めてゆくことが必要と思います。
技術といわれることにもこのようなことがらを一つ一つ実行してゆくための知恵の体現法という性質を有しているといえましょう。
技術や、道具というものは本来大工さんのかんなやピアニストのピアノのように使う人の技量や、心のありようによって結果がおおいに異なるものと思いますし、又、知識にいたしましても単に識り得たということからすればそれで済む性質のものでしょうが、人が生きてゆくのに要求される食事にしても、酸化、還元、睡眠等々も、常にくり返され毎日毎日の積み重ねによって成長も変化もあるという性質を有します。
成長とは必然の達成であるとも言えましょう。
このようにして、必然から生じ常に新たなる応用、変化の達成に連らなるところに即ち基本ということの意味があるものと思います。
いつまでも、どこまでも、限りなき修業に基本の卒業がないのは合気道に於いても全く同じでありましょう。
基本技がそのまま極意技とされる由縁でもあります。