モノとコト

 熊谷守一さんという絵画きさんをご存知でしょうか。
 九十才を過ぎてもなお、十年を一日の如く朝おきると奥さんと碁を打ち、昼寝をして後に絵を画くという生活を何十年と続けたという熊谷さん。
 たまたま本屋さんで「へたも絵のうち」という御夫婦で碁を打っている写真の載った本が目に付き、十年も前に入手した時に識った絵画きさんであります。
 熊谷さんの言葉に「へたな絵そのモノは破り捨てることができてもへたな絵を画いたというコトは消せません。」というのがありました。
 これは先日のテレビで特集があった時に聞いた言葉ですが、上手とか下手とかということで絵を観ていなかった熊谷さんの真骨重がうかがえることばであると思えます。
 「どうしたらいい絵がかけるか」という問に対しては「自分を生かす自然な絵をかけばいい」と答えていたそうであります。
 絵のことは全くわかりませんが、その後、本郷で入手した熊谷さんの絵のコピーを大きな額と共に持ち帰って永らく自宅に飾ったことがあります。
 心なごむ絵でありました。
 彼の絵に雨樋から流れ落ちる水を形にした絵で「雨水」という絵があります。
 この絵の解説に「雨水を単にモノとしてではなく水のあふれるコトとして心に捕えている」という意味の説明がありました。
 絵を画く人、それをみる人、それにしてもこれ程迄に見事な解釈はないと思います。
 庭に敷いたゴザの上で一日中アリを眺め、石コロ一つで何年でも生きられるといい切り、「へたも認めよ」といった熊谷さん。
 形のみえるモノ、ハタラキがいのちのコト、この関係をしっかりと捕えることについての興味はつきません。
 合気道も又、自己を通じてモノとコトを充分に理解し深めて行く稽古であるといえましょう。