優しさ

 これからは「優しさを具えた人が時代をリードする」といっていた人がいました。
 これからの時代のみならず今迄の時代もそうであったとも思いますが、人の優れた一面である「やさしさ」ということの大切にされるべきことは太古の昔から自明であったのでしょうが、時と共にいよいよその自明の光が輝きを増してきたということでありましょうか。
 このことは反面、他を受け入れないことにより生じる不合理から、気分をさわやかに持とうとする人の叡智の復元力の顕われであるともいえましょう。
 又、大なり小なり必ず比較対象となるモノやコトが相対して存在する世の中であるが故に何等かのカタチで常に人の心は関与し、時に遠慮会釈もなく奥深く出入りしているのが現実であることを誰もが理解し、経験し続けているのが日常であるということだと思います。
 虫をも殺さぬやさしさもありましょうが、食用に殺す数のおびただしさもありましょうし、激烈な競合の影にひそむ優れた者への賛美も又、人の世の慣いでありましょう。
 殺さず、競合せず、心身を揉むことなく力強く成長することがあり得るのでしょうか。
 溺愛だけから生まれるものは笹の葉の舟に人は乗れないように何か偏よりがあるように感じるのも又、人の持つ心の大きな働きの一つであると思います。
 何についてもいえることでありますが、やはり優しさについても、単独で存在するのではなく、相対する面を含み持つことを理解してこそ即ち優しさということの意味がハッキリと浮かび上ってくるものと思います。
 時に厳しさを伴い、時に理解の届かぬ所にあることもこの故と思います。
 合気道の稽古に於ける優しさも全く同じであります。
 いづれにせよ邪心を持たないということがなによりも大切であると思います。