よろこび

 心に願うことのかなう時、それはことの大小、浅深にかかわらず身を打ち震わす程のよろこびがあるのはひとり人の世のできごとにとどまらないものと思います。
 咲く花、鳴く鳥はいうに及ばず、天に流れる銀河に至る迄、真なれ、善かれ、美しくあれかし、と願う存在するものの全ての思いがこめられ、そして正にその思いが実現し得るよろこびに満ちあふれた姿であるといえはしないでしょうか。
 さまざまに思い患い、かなわぬことを悲しみ怒る時、体内に流れる血液迄も生命に微妙な警告を与えると聞いております。
 このようなことから日々の生活に際し、悲しむ勿、怒る勿と教えた先人もありましたが、大自然の心に逆らうことの無意味さを示す一例でもありましょう。
 忘れがちなこととして「自明であることへの自覚」ということが挙げられると思います。
 例えば地球の引力についてもいえることですが、潮の満ち干きはいうに及ばず、人が地上に立ち、歩くことのできるのもまさに地球の引力の賜ものであります。
 身体を形成する骨格にしても日々に新たに細胞が入れ換って成り立っているとのことであります。
 このように自覚しなくとも大自然の影響を受け乍ら活かされていることを時に思い起し自らの内に明らかにして行くことも大切なことであると思います。
 自らの内に明らかにして行くことを日々に行なう方法はいろいろであると思いますが、その方法、行ないを通じて明らかになるところによろこびや感謝の情が産まれてくるのではないでしょうか。
 合気道の技法に関しましても大自然と己が一身のかかわり合いを自らのうちに明らかにするための教えであると思います。