いのちの姿

 高村光太郎は「詩は気なり、気の実なり」といったそうでありますが、詩や歌に限らず、迸ばしる程のいのちの姿をどのように捉えるかということをテーマとする限りさまざまな方面についても同じことがいえると思います。
 又、気に限らず「言霊とは折り合いをつけ乍ら自らの姿を整えること」、「言霊とは腹中にタギル血の姿をいう」と解釈した本居宣長のいう言霊にしても同様にいのちの姿を現す誠に尊いものを感じさせられます。
 第十七号で触れた「礼は天の秩序なり」という岡潔博士のことばからも枝先にポッと咲く梅の花ビラ一つに含まれる大自然のこころと人のこころの響き合うことのここち良さを認めることができます。
 即ちこの響きは秩序と調和の中にこそ保たれ、存在することに我々は気付くべきでありましょう。
 食事にしても今や過食、偏食から病気、栄養失調を生じ、日々の行いについて情報が氾濫することからかえって自主性を欠き判断を誤ることも多く振り廻される結果になり易いのも周知の通りであります。
 これらは秩序と調和への感じ方に問題が生じていることを意味していると思います。
 更にこのことは一切の行動は全て自己の心身を通じて行われることから理屈の世界ではなく実在の世界であるというところにも大切な自覚すべき点があると思います。
 「人体は小宇宙である」ともいわれます。
 気とか霊とかについてのくわしいことは解りませんが、梅の花の美しさとか、腹中にタギル血潮の赤さの働くべき本来のいのちの姿を実感することについては誰しも共通のよろこびがあると思います。
 この共通の実感をいよいよ明らかにする素晴らしい方法の一つが合気道であると信じます。
 「合気道とは言霊の妙用である」ともいわれております。